ホーム > 「がん患者 6年間 3000人の治療実績」 > 白血病の息子の死が教えてくれたこと

白血病の息子の死が
教えてくれたこと

 
僕は大学を卒業して23年、抗がん剤治療をやってきた。他人様を苦しめて殺していたんです。ちょうど今から30年前に、私一番かわいかった小学校2年の長男が白血病になったんです。甘えが出てうちの病院にいたら注射もさせてもらえないから、高知医大に預けたんです。高知医大の先生は、丹羽先生の子どもだから殺したらいかんと思って、抗がん剤をどんどんやってくれたんです。大人と違って子どもは細胞が次々と生まれ変わるから抗がん剤の副作用に対して強い。はじめの半年ぐらいは髪の毛が抜けるけど、元気でした。
   ところがやっぱり半年過ぎたらダメ。抗がん剤の副作用で飯が食えなくなってきたんです。大人でもムカついて飯食えないのに、子供はもっと食べない。大人は食わないと元気になれないからと、無理して食べようと努力する。しかし子供は1日氷水とジュースしか飲まない。1ヵ月、2ヵ月経つと、あばら骨が見えてくる、足の骨と皮がくっつく、まるで骸骨。亡くなる2ヵ月前には血小板という、出血を止める大事な細胞が、抗がん剤でほとんどダメになったんです。体中全部が青ジミになって、お尻も太ももみんな紫の斑点。口は血の塊、肛門の出口は血の塊、胃と腸と食道は抗がん剤の副作用で血だらけ、穴だらけ。お茶も水もしみるから「ギャー」。
   亡くなる1ヵ月前、わしも腹をくくって、毎晩病室にいて泊まってあげた。子供は「お父ちゃんはお医者さん。お家では頭痛いから薬くれた。しんどいから注射してくれた。お父ちゃん、治してくる」と知っているから、夜中の11時、12時に、「お父ちゃん苦しいー。助けてくれー」と叫ぶんです。なんぼ助けてくれ、助けてくれと言われても、なすすべがない。10時間効いていた痛み止めが、5時間、4時間、3時間と効かなくなる。がんの患者さんはね、途中から抗がん剤の副作用で、ムカついてご飯が食べられなくなって、亡くなる1ヵ月前、1週間前はどんな患者さんも、痛みで苦しんでのたうちまわって死ぬわけです。みんなモルヒネ、麻薬のような注射を打たれる。麻薬はあんまり使うと胃腸に効いて、胃腸が動かなくなり、腸閉塞を起こし、そっちで死んでしまうんです。
   だから、麻薬はある一定以上使ったらいけないんだ。今でもモルヒネの注射は1度打ったら、4時間はあけないといけない。なのに息子の剛は1時間すると、バタバタバタ。狭い部屋の中で「父ちゃん苦しい、助けてくれー」とやるから、こっちもじっとしていられずに「よっしゃ、待っておれ、待っておれよ」と言いながらベッドの周りを走っているんです。天下の丹羽先生ができたのはそれだけ。そのまま何もできず剛は死んでいった。あのとき何かできていたら、今日、こんなところでしゃべっていないんです。
   翌年の1月24日、息子の亡くなる4日前、私はこの世の生き地獄を見た。たとえ、お医者さんが何万人集まっても、この生き地獄はいかん。自分の一番かわいい子供にこんなむごたらしい生き地獄をさせてはいかん。最後の死にざまは高速道路でダンプカーにひき殺された猫のようでした。
   みなさん、放っておいてこうなったんではないんです。天下の大学病院に1年3ヵ月入院して、現代医療で最高と言われる抗がん剤をやってきた結果なんです。私は毎晩毎晩「神様、私は医者だからこの子がダメだということはよく分かっています。でも、神様どうか命を、奇跡を与えて助けてください」と祈りながらやってきた1年3ヵ月の闘病生活の結末が、高速道路でダンプカーにひき殺された猫だ。私はこれを見た時に「あー、これが今までの抗がん剤なんだ。他人様はみんなこれで死んでいったんだ。自分の子どもの生き地獄を見て初めて目が覚めた。これは人間のやることじゃない」と。
   私は剛が亡くなって初めて目が覚めました。私は抗がん剤など効かないことは初めから分かっていた。しかし、大学ではこれしか教えてくれない、教科書にも書かれていない。抗がん剤治療が正しいと思って、何百人ものがん患者さんを苦しめて殺したんです。神様は、私から抗がん剤止めさせるためには、他人様を苦しめて殺したってダメ。自分の一番かわいい子どもに、しかも、この世の最高の生き地獄を見せないと、私は抗がん剤を止めないだろうと思われたんです。
   その時の生き地獄のことは、私の著書「白血病の息子が教えてくれた医者の心」(草思社刊)という本に書かれています。一時ベストセラーになって、今でも手に入りますから、よろしければ読んでみてください。

 

top > 1 > 2 > 3 > 4 > 5 > 6 > 7 > 8 > 9 > 10 > 11 > 12 > 13 > 14 > 次のページ