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息子の生き地獄を見たことで
医者の心に気づかされた

卒業して23年間は、何百人という数のがん患者に会って、みんな抗がん剤で苦しめて殺したんです。それをみていた神様が、私から抗がん剤をやめさせるためには、自分のいちばん可愛かった子供の、この世の最悪の生き地獄を見せないと、私は抗がん剤を止めない、と思われたのでしょう。そのことは、私の著書『白血病の息子が教えてくれた医者の心』に詳しく書かれています。私はね、息子が死ぬ27年前までは、患者さんが抗がん剤で死ぬのは当たり前だと思ってきました。患者さんの家族を呼んで、ご主人はがんの末期でどうしてもダメだと言ってきました。一生懸命にやってきたけど、もう胃の出口が、がんでふさがっている。だから何を食べさせても吐きますよ。坐骨の骨にもがんができて、痛み止めはなにも効きませんよ、あきらめてくださと言う。そうすると10人中 5人はあきらめきれない。患者さんがいっぱい待っている私の診察室に入ってきて私の袖を引っ張って「先生、うちの父ちゃん、痛い痛いって苦しんでいる。なんとか痛くないようにしてくれないか、もう3日も何も食べてないから、おかゆくらい食べられないか」と。3時間前に胃の出口が全部閉鎖された、と言っているのに何がおかゆひと口だと。坐骨にガンができてるから痛みは取れないと言っているのに、まあ。物分りが悪いなあと思っていました。私の診察はおわるのが夜の10時、11時です。それから末期がん、進行がんの患者さんのケアをしなければならない。あそこが痛い、血が出た、吐いたと看護婦さんから電話がかかってくる。それを12時くらいまで指示したりして、それから勉強、研究を始めるんです。僕は30年間寝るのは夜中3時。だから、物分りの悪いご家族の話を聞いていたら寝る時間がなくなってしまうわけです。これはとんでもない、生きていけないと、僕は逃げていました。

   ところが、いよいよ自分の子供がだめになったらね、頭では死ぬことわかります。でもなんぼわかっても、やっぱり助かってほしい。死ぬ寸前まで土下座してまで神様どうかお願いです、助けてください、その心しかないんです。この本はお医者さんになる人間は絶対に読まないといけない。忘れたらだめ。自分がそうなったら、患者さんの家族がうろたえることと同じことをやるんですよ。それを医者は絶対忘れたらいけない。
   とにかくね、今まで何百人の患者さんががんでみんな苦しんでいく姿を見てきましたよ。しかし、うちの子供の剛士ほどの地獄はみたことがない。抗がん剤の副作用でガリガリに痩せてあばらが浮き上がって、骸骨でした。骸骨がベットの上で暴れて「父ちゃん痛いよ、助けてくれー」と。出血を止める血小板が、抗がん剤でほとんどゼロ。亡くなる二ヶ月前、身体中、お尻も太もももみんなむらさきの斑点。口は血の固まり、肛門の出口は血の固まり、胃と腸も抗がん剤でぼろぼろ。お茶一滴飲ませてもギャー!って言うんです。亡くなる一ヶ月前、僕はもう腹をくくって病室にいっしょに泊まった。夜中の12時に「おなかが痛い、助けてくれー」言うんです。どれだけ助けてくれ助けてくれと言っても、抗がん剤やるたびにのたうち回る。痛み止めの効きも、10時間が5時間、3時間、1時間とどんどん短くなってくる。痛み止めをあまり飲ませると、胃腸が麻痺して腸閉塞で死んでしまうんです。注射は4時間空ける。すると効いていない3時間、何もしようがないんです。父ちゃんは医者で何でも治してくれるはずなのに何もできない。父ちゃん苦しい、助けてくれーと、3時間。こっちはじっとしていれず、よっしゃ剛士、待っとれよ待っとれよと言って気合い入れてね、剛士のベットの回りを走るんだ。天下の丹羽先生ができたのはそれだけ。亡くなったのは7月24日。亡くなる3日4日前、もう僕はこの世で最悪の生き地獄を見ました。うちの子供は目がまんまるでかわいかった。その目玉の筋肉が、繰り返しの抗がん剤でもうボロボロになってきた。がんが脳へ転移して、亡くなる4日前、あのかわいかった子供の目玉がね、4センチから5センチ前方にゴトンと突き出されたんです。生きたままですよ。目玉くるくるくる回りながらね「父ちゃん母ちゃん苦しいよー助けてくれー」と言うんです。「父ちゃん母ちゃん苦しいよ助けてくれー」。24時間バッタバッタ暴れる子供を抱きかかえるうち4日目に剛士の肩が抜けた。ガクン。見たら、わーっと吐いた血の海の中にバチャーンと突っ伏していた。高速道路でダンプカーにひかれた猫とまったくいっしょ。   何もしないでこうなったんではないんですよ。天下の大学病院に1年3ヶ月いて、最高医療という治療をやってきての結果がこれでした。私はこれを見たときに、何が東大病院じゃ、何が国立がんセンターだ、くそくらえと思いました。
   何にもする気がなくなり、完全に放心状態。昔、僕は子供とまったく遊んでやれなかった。遊んでやったのは病気になってからでした。そうしたら剛士は喜んでね、自分死ぬこと知らないから「父ちゃん、僕今度いつ帰れる?」「今度帰ったら遊ぼう」とそんなことばっかり言うんです。この子は、もう3ヶ月で死ぬ。絶対死ぬんだ。お前お父さんとこうやって遊べるのもあと3ヶ月なんだと言いたいけどそんなん言えない。子供は無邪気だからむちゃくちゃ喜ぶ。あぁ、こんだけ喜んでくれるんだったら元気なときにいっしょに遊んでやればよかったといっても後の祭り。子供死んだら誰でもつらいけれど、それ以上にがっくりきて、お父さんが男の子の手を引いている姿を見るのもいやでね、托鉢坊主になって全国を供養して歩こうと思ったんです。ほんとに托鉢坊主の用意をしたんですよ。
   そうしたら、亡くなった剛士の十字架に甘えるなという剛士の声が聞こえてきたんです。苦しんで亡くなっていうがん患者さんが、全国に何万、何十万といるんだと。また、別れを惜しんだ私の様に一生、心の悲しみを残している家族が全国に何万、何十万といるんだと。そういく気の毒な患者さんや家族を一人でも一組でも救っていくこと。それが私の生きていく道だと思ったんです。

 

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