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医者としてのエリート街道をはずれ
独自の病院開業へのみちのり

長瀬    お二人はどのような経緯で今の病院を開業されたんでしょうか。

丹羽   僕は子供の頃、身体が弱くて、そのうえ学生時代に勉強しすぎたのもあって、ものすごく体調を悪くしたんです。それで、子供の頃に疎開したときに元気なったのを思い出して。土佐に行ったんです。そしたら元気になるし、医者がいないからっていうんで診療していたらどんどん患者さんが増えて、そろそろ都会に帰ろうかと思ったら、市のほうから、土地を提供するから病院を開業してくれと頼まれて、それで開業したわけです。空気がいいから研究所もいっしょに作って、そのうちに全国に診療所ができて、あっちこっち行くようになったんです。 

帯津   最初は保険診療だったんですか?

丹羽   そうなんです。ところが田舎というのはひがみやっかみがすごい。僕はゴルフもせんし、お酒も付き合わない。そんな時間あるくらいなら研究していたい。周りのお医者さんにしたら、僕がまじめに診療したり、論文を発表したりしているのが気に食わなかったんですね。それはもうあの手この手でつぶしに合いました。果ては厚生省やら代議士まで出てくるくらいエスカレートしてね、そんなときに息子が小児ガンで7歳で亡くなった。それを機に、もう副作用で苦しむだけの抗がん剤はやめや。自分で薬も開業して、自由診療でやっていくからもういいと。開きなおったんです。帯津先生は東大派閥だし、都会でやっておられるからそういうやっかみには合わないでしょ。うらやましい。 

長瀬   帯津先生はずっと都立駒込病院でおやりになっていて、どうして病院を開業しようと?

帯津   駒込でやっていたときに西洋医学というか手術に限界を感じたんです。それで中国医学に目をつけて、そっちでガン治療をしようとしたんですが、国内で教えを請う人がいなくて、それで中国に行かせてもらったんです。そこで気功に出会い、駒込に帰ってからやろうとしたんですが、誰も相手にしてくれない。だいたい患者さんが相手にしてくれないんです(笑)。で、止めようと思ったんですが、なんかいつかこういうのが使える時代になるという予感がして、それなら大きい組織で不自由感じながらやるより、自分がお山の大将になって“俺がやる!”といったらできるような組織を作ったほうがいいと。

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