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「二本の木」
放送内容

 
 
この世を去った元ディレクターは小沢爽さん(享年71)。在職中は「現代の肖像」「NHKスペシャル」などのディレクターとしてドキュメンタリー畑を歩んできました。妻の千緒さん(享年65)とは友人も認めるおしどり夫婦。そんな千緒さんに小細胞がんが発覚したのは、小沢さんの定年退職後のことでした。献身的に介護を続けるなか、言葉にできない切ない思いや戸惑い、苦悩を日記につづるようになったのです。
  そんなある日、爽さん自身の胃がんが発覚。今度は千緒さんを戦友≠ニして励ましながらの生活となりましたが、平成19年 5月に千緒さんは他界。その後、自身がつづってきた日記と千緒さんが記した闘病日記を、2人が懸命に生きた証しとして一冊の本にまとめ、自費出版しまいた。
  本はごく親しい人たちに贈呈されたのですが、小沢さんの死後、本を読んだ後輩の手でドキュメンタリー化され放送されたのです。番組では2人がつづった日記の世界が忠実に再現。小沢さんの日記は片岡仁左衛門、千緒さんの日記は竹下景子が朗読し、闘病生活を回想していく構成。片岡さん、竹下さんがあるれる涙をぬぐおうともせずに朗読されていたのが印象的でした。
  また、再現映像の中には、家族が撮影した写真やビデオ映像もふんだんに使われいました。
  そんななかに、土佐清水病院が名前を伏せて紹介されたのです。それは、千緒さんがもう西洋治療ではなにもなすすべきことがないとしらされたときに選んだ病院として、紹介されていました。土佐清水病院の風景、病室の様子、近くを散策している様子など、一目で土佐清水病院ということが分かります。
  小細胞がんというのはとても進行の早い悪性のがんです。また、飛び散る危険性が高く、手術は困難。そんなこともあって千緒さんはご主人と相談して土佐清水病院を選ばれたのでしょう。そのあたりの経過がご主人の日記に記されていました。
 
「放射線の副作用で千緒さんは肺炎を起こし、日課だった散歩もしなくなった。私たちは、このとき、もう西洋医学に期待できるものはないと思い始めていました」
  続いてナレーションで
「そこで登場するのが代替医療です。これは、西洋医療に代わる東洋、民間の総称です。爽さんはカンを頼りに選択するしかなかった。がんは治る、末期がんは治る≠ニ主張しているものはたくさんありました。そのなかから選択した病院」
  ここで土佐清水病院の風景が映し出され、次に病院の一室で患者さんたちが集まって楽しそうに歌を歌っている様子が映され、ナレーションが続きます。
「土佐清水は四国の足摺岬の南端にあります。千緒さんはその市内にある病院が小細胞がんを治したという話を聞き、3月上旬に入院したました」
 
  結局、千緒さんは退院はするのですが、脳に転移し、丹羽先生の紹介を経て脳外科の第一人者である東京の病院でガンマナイフ治療を受けます。その年の11月、今度は爽さんが倒れました。進行性の胃がんと判明。このとき、爽さんが一時的に入院したのが、丹羽先生とも交流が深い、帯津良一先生が名誉院長をしている川越の帯津三敬病院でした。これも番組では病院名は伏せられていました。
  結果として千緒さんはがんが発覚して余命半年宣言から1年半後の平成19年 5月に、ご主人の爽さんはその半年後の11月に他界されました。

 
 
  放送があった翌日、土佐清水病院には千件近い問い合わせがあり、電話が鳴りっぱなしだったそうです。たった数分の紹介だったにも関らず、問い合わせが殺到したのは驚きでした。
  NHKでこのような取り上げ方をされるというのは異例のこと。時代が確実に代替医療にシフトされたと感じざるを得ないドキュメントでした。
  また、なによりもご夫婦の絆の素晴らしさに感動しました。小沢爽さん、千緒さんのご冥福を心よりお祈りします。

 

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