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 ほとんどの疾病はSODで!
 丹羽先生との出会いや17年間の経験と実績が整体院の枠を超えた

  岡山県 三木整体院 三木英貴院長 (57歳) 男性
 
  
今年57歳になる三木先生が整体院を始められたのは17年前、40歳になる直前のことでした。全く畑違いの転職でした。「普通に町の水道屋さんでした」
   それがどうしてまた、という話からインタビューは始まりました。「水道屋さんに務めているとき、いろいろあってうつ病になったんですよ。友人の死、家庭内のことなどが重なって、ストレスフルになったんでしょうね。ある日、急に過呼吸で倒れ、どうにも起き上がれなくなって、救急車で病院に運ばれたんです。その時に初めて、うつ病の一種だと言われたんです。今でいうパニック障害ですね」
   そこから実に10年もの間、うち病の中にいたと言います。厚生労働省の調べでは、うつ病の患者は年々増え続け、今は100人に3〜7人の割合でかかる病で、決して他人事ではないそうです。
   当然、仕事もままならず、どんどん窓際に追いやられ、周囲に迷惑がかかるからと、最後は自分から退職したそうです。「その間、いろんな治療しましたよ。最初は病院で神経系の薬をもたって、カウンセリングもやっていたけど、ちっとも良くならん」
   普通の病院に行っても、抗うつ剤、精神安定剤という名の睡眠薬の部類を処方されるとか。脳神経の一部をマヒさせるだけだから改善は難しいと言われています。「医者に行っても治らないとなると次は、漢方、整体や鍼灸、鍼治療、あんまといった東洋的な治療になりますよね。いろんな人がいろんなものを紹介してくれんです。しかしどれも効果なんかない。そうすると最後は怪しいもの、霊媒師やら宗教に行きつくんですわ」
   軽妙な口調で笑う三木先生。確かに、がん治療でも最後は怪しいところに行きついてしまうことが多いと聞きます。「いろんな呪文を唱えましたよ。でも、どんなに祈っても治らないんです。当たり前ですよね。祈って治るのなら医者も薬も、僕らもいらないんです。治らないからみんな奈落に沈んでしまうんです。僕も、天井を仰ぎながらどうしたら治るんだろうって祈っていたんです。ところが、次第にあほらしくなった。そんなときに天井に一条の光が降りてきたんです。錯覚かもしれないし、なんかの自然現象や光の加減かもしれないんですが、なんか突然、お前は、治してほしいの一点張りだが、もし治してもらったら代わりに何ができるんだ。何をするんだ。という言葉が頭の中に出てきたんです。その時にパッと我に返りました。そういえば僕はお返しを何も用意していない。お願いするばかりで、自分は世のために何もできない、と気づいたんです」
   このひらめきはあくまでも個人の感じ方だから、と言いながら、神のお告げというものがあるとすれば、それは自分の中の考え方次第かもしれないと。「それから数か月、自分は何ができるのかを考えました。そして出した答えが、そうか、自分がうつ病になったのだから、うつ病の人の気持ちがわかる。うつ病の人の話を聞いてあげられる。そう思ったんです」
   そうしたら1か月後、知り合いから整体師にならないかという話が舞い込んできたそうです。「後で知ったのですが、丹羽先生も白血病の息子さんを抗がん剤治療の果てに亡くしたあと、医者を止めようと思うくらい落ち込んだけれど、ある時、神のお告げのように、抗がん剤に代わる薬を開発しなさいと言われ、開発にいそしんだと聞きました。それと同じというとおこがましいですが、人にはそういう天命、使命があるのではないかと」
   整体師になると決めてからはうちの症状は全く影をひそめ、普通の人が2〜3年かかる整体師の資格をたったの1年で取得すると、この地で開業したのです。
 
   末期がんの義父と丹羽療法SODとの出会いが転機に!
 
   三木先生が丹羽先生やSODのことを知ったきっかけは、8年前にさかのぼります。「僕の妻の父(義父)が胃がんになったんです。わかったときにはステージVBで、手術をしたんですが、医者からは5年もったらいいと言われました。案の定、その2年後に再発。リンパ節に転移して、腹膜にも発症が起こっていたんです。医者は余命1か月半くらいですが、抗がん剤しますか?って言われて、僕は先生の家族がこのような状態だったらどうしますか?抗がん剤治療をしますか?と聞いたんですが、いや私があなたに聞いているんですって言うだけで、はぐらかされた」
   抗がん剤治療をしてどれくらいの延命効果があるのかも聞いたところ、個人差があるから一概にはいえないが、1年〜2年。3年生存はゼロと言われたそうです。「ぼくがあまりにもしつこくいろいろ聞くもんだから、そのうち医者も面倒だと思ったんでしょうね。そんなに心配ならセカンドオピニオンしていいですよ。どうぞ行ってください、って言われたんです。そのときに僕は、あ、もう医者は頼りにならない。ダメだと思いました」

   ならどうする、となったとき三木先生の頭をよぎったのが、時々整体院に届くSODの資料でした。「どうだ、丹羽耕三や!それしかないとひらめいたんです」
   整体院には毎月いろいろなダイレクトメールやセールスの電話があります。そんななかでとっさに丹羽先生の名前が浮かんだというから、驚きです。そのうえ義父さんのお住まいが土佐清水病院のある高知だったことも何かの縁だったのでしょうか。しかし、実際に診察に至るまでは紆余曲折ありました。予約の電話を入れてから2週間後に大阪で診察の予定が、悪天候で飛行機が飛ばず、さらに2週間後に伸びたこと。「義父の余命は1か月半。2週間心待ちにしてのにさらに2週間では死んでしまう。必死でした。何度も受け付けのお兄さんとやり取りをしましたね。そうしたら、キャンセルのあった翌日、高知のホテルのロビーで待て、という連絡をもらったんです」
   丹羽先生と初めて会った高知グランドホテルのロビーの光景は今でも鮮明に覚えているといいます。車から降りてくる丹羽先生のしぐさ、歩き方。こちらから声をかけると、「お前がカバチか(土佐弁で理屈屋のこと)と言われました。何度も電話して粘ったから、そのことが先生にも伝わっていたんでしょうね。でも、僕もひるみません。そうです人の命がかかっていますからと言いました」
   そのまま丹羽先生はロビーで義父さんの検査データやCT画像を見て、ひとことこう言ったそうです。「おっちゃん、わしが助けたる。3日後に土佐清水に来いよ」
   そして別れ際に丹羽先生は三木先生に、「兄ちゃん、ええか、わしのことよう勉強せいや」と声をかけたそうです。
   それから三木先生は丹羽先生の書籍などを読み漁り『がん治療究極の選択』(講談社)に至ってはすべて暗記したと言います。活性酸素と病気のメカニズム。アトピー性皮膚炎、膠原病、がん、すべての病気に関わる大気汚染、化学薬品、化学食品汚染。整体師として様々な患者さんの治癒にあたっている中で疑問に感じていたことがすべてストンと収まっていく、納得できていくのを感じたそうです。
   「義父が入院中、2回ほど土佐清水病院に行きました。マグニー石のサンドバスや生薬、丹羽式整体部屋もあって、勉強になりましたね。僕が丹羽先生のことをきっちり勉強してきていると分かると、先生も全身全霊で応えてくれました。退院後に十二指腸に転移が起こり、狭窄したのですが、そこにバイパスを入れる手術も、保険でできるように手配してくださったし、なにかと連絡をくれて、最後まで親身にケアしてくれました。結局、義父は9か月後に亡くなりましたが、余命1か月未満だったのに9か月も苦しまずに生きることができたのですから」 
 
   SODのことならなんでも答えられる極上の案内人
 
   こうして三木先生とSODとの付き合いが始まりました。「義父が入院と同時にまずはSODを取り寄せました。これが丹羽療法の基本中の基本ですから。以来、うちの治療にSODは欠かせません。逆をいえば、SOD以外は勧めません。それだけの効果が出ているからです。整体院をやっているといっぱい健康食品やサプリ、健康機器のセールスがきますけど、ほんとうに効くものなんかない。活性酸素が関わる病気の9割はSODで治せると思います」
   ですから三木先生のもとには単に整体で来る患者さんはいないのだとか。picap083の突発性難聴になった横山さんを始め、西洋治療や他のカイロプラクティックなどで治らない人がやってくるとか。

   「マッサージだけ何分して気持ち良くしたいという人はお断りしているんです。ほとんどが口コミで、メニエール病、ぜんそく、アトピーといった、およそ整体とは関係なさそうな患者さんがきますね。全部、SODで良くなります。横山さんの突発性難聴も、SODだけですから。僕は何もしていなですよ。ちょっと整体やって、あとはSODにお任せです。患者さんから先生なんかいいものない?と聞かれれば、即答でSOD!です」
   もちろんスタッフも先生も愛飲者です。「やっぱりこういう仕事は、施術する側が元気でないとできない。だから、今日は大変な患者さんが来るぞ、というときは事前にSODを多めに飲むんです。8〜10包は飲んで待ち受けます」
   そんな先生が最近、唯一、導入したものがあります。それはニュースキャンという健康管理機器です。周波数によって身体全体の状態を調べるもので、これを導入してからなおさら治療判断に自信が持てるようになったとか。
   つくづく不思議な先生です。インタビューにおじゃまして、こんな田んぼの中の一軒家で本当に整体業が成り立つのかと思いましたが、すごく居心地がいいのです。よくよく見まわすと、田舎町のどこにでもあるような、けばけばしい看板や、コンビニなどが全くなく、周囲にわずらわしいものが何もないという環境。それだけで、もう空気が違うように感じました。
   こんなところで開業なんて、という人もいたそうですが、こんなところこそ、と選んだ場所だとか。人が元気になる環境がここにはありました。
   余談だすが三木先生、シンガーソングライターの長渕剛さんに似ているんです。そのこともあって、がんで末期の長渕ファンの患者さんの前で口パクモノマネコンサートをした経験があるとか。なかなかつよし≠ニいう芸名までつけて、「病気の人が喜んでくれるなら、元気になってくれるなら、僕らはSODという健康への道のりの観光案内ガイドをします」
   その心意気に惚れてしまいます。

 


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