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 丹羽療法で白血病から生還!
 兄も末期の肝臓がんから生還!

  東京都 辻田裕司さん (83歳) 男性
 
   この愛飲者インタビュー3度目の登場をお願いしたのは、テニスのシニア(正確にはベテランの部)元日本チャンピオンである辻田さんです。
   初めてのインタビューは15年ほど前でした。テニスの年代別(60歳代)日本チャンピオンという華々しい経歴を持ち、会社経営のかたわら、鍼灸治療の資格をとり、治療師としても活躍されていた辻田さん。テニスにも挑戦する、絵に描いたようなスーパーマンぶりでした。
   そんな辻田さんを最初に襲った病が膠原病でした、肩からひじ、膝の関節に痛みが走り、テニスどころか歩くこともままならない痛みにさいなまれました。難病指定されている膠原病には西洋医療では未だ確かな治療法はなく、ステロイドと痛み止めでその場をしのぐことしか出来ません。鍼灸治療師である辻田さんは、西洋治療では治らないことを冷静にとらえ、自力で丹羽先生の治療にたどりつきました。そうして丹羽先生の生薬とSODで膠原病を克服し、1年後にはテニスプレイヤーとして復帰を果たしました。
   次に病魔が襲ったのは膠原病発症から10年後。79歳のときでした。病名は急性白血病。そう、今年に入って水泳の池江璃花子選手が公表し日本中に衝撃を与えた病気です。血液のがんといわれ、若年ではアスリートに罹患率が高いといいます。アスリートが心肺機能を向上させるために行うトレーニングなどが、活性酸素を大量に発生させるからだそうです。辻田さんもアスリート。さらにテニスプレーヤーは炎天下で紫外線を浴びる機会が圧倒的に多いのです。紫外線を浴びすぎると体内で活性酸素が異常に増え、あらゆる病気の元になるそうです。

「白血病のときは病院で余命数か月と宣告され、葬式の準備まで勧められましたから、丹羽先生のところに行かなかったら間違いなく私はここにはいませんでした。先生の治療が1か月、いや一週間遅れていたら、アウトだったかもしれません。現に同じ頃に白血病になった同年代のテニス仲間は発症から半年で亡くなりましたから」
   土佐清水病院に緊急入院して1か月。生薬と食事療法、マグニー石のサンドバスなど徹底した丹羽療法で奇跡の生還をしました。自身、鍼灸治療師の資格を持ち、さまざまな患者さんの治療を行ってきた経験に丹羽療法が加わり、83歳の現在も毎日のようにコートに立っています。
 
   余命1年の肝臓がん!抗がん剤治療で衰弱
 
   さて、今回、辻田さんにインタビューをお願いしたのは、実は、辻田さんのお兄様のことでした。私たち取材のスタッフが2016年の春、丹羽先生のインタビューで新横浜の診療所を訪ねたところ、待合室で偶然に辻田さんにお会いしました。この日は5歳年上のお兄様の付き添いでいらしてました。その時のお兄様の病状を記事の抜粋で紹介します。
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   辻田さんのお兄様は、現在85歳(2016年当時)。学生時代は野球に打ち込まれたとか。弟さんはテニスとまさにスポーツ一家でした。体力には自信があったそうです。それが去年、肝臓に異変が見つかり、肝臓がんと診断されました。肝臓は、体内の有害物質の解毒や排出をする重要な臓器といわれています。と同時に、物言わぬ臓器と言われるくらい、自覚症状がわかりにくい臓器だとか。ですから、異常が見つかった時にはかなり進行しているそうです。
   お兄様の場合も2015年の夏ごろに肝臓がんが発覚し、芳しくない状態だと言われたそうです。先生のニュアンスでは余命1年くらいだと。そして当たり前のように抗がん剤治療を勧められたそうです。85歳での手術は無理があります。となると残された治療法はおのずと抗がん剤治療になるのでしょう。抗がん剤治療は、丹羽先生を始め、これまで幾多の世界中の学者の方々が、百害あって一利なしとおっしゃっています。それでも目の前の医者に勧められれば、万に一つ、効果が期待できるかもしれないと思うとか。このときお兄様が勧められたのが、カテーテル手術療法というものでした。このれは、お腹に小さな穴をあけ、そこからカテーテルという細い管を通し、患部に直接抗がん剤を注入する治療法です。これまでの抗がん剤投与は、注射か服用などで全身に様々な影響を与えていましたが、カテーテル投与なら患部だけに、しかも直接、抗がん剤が届き、より効果的で身体への負担が少ないと言われています。
   しかし、この治療法を用いても、お兄様の様態は一向に良くならないどころか、余計にだるさが増したとい言います。がん細胞が増加していることを示すマーカーも悪く、CTでの画像診断でも縮小効果はあまり見られなかったとか。
   そこで弟さんの出番でした。がん、と言われたときから、1日に9包ずつのSODの服用を勧めました。さらに、丹羽療法を受けるように勧めたそうです。自身が2度も丹羽先生に命を救われた実体験がありましたから、なおさらでした。
   そうして丹羽先生の診療所にいらした日に私たちはお会いしたのです。
   診察にも立ち会わせていただきました。丹羽先生は、カテーテルで抗がん剤を入れても、抗がん剤はがん細胞だけにあたるわけではなく、正常な細胞にもあたってしまう。がんも死ぬが、肝臓の正常な細胞も死んでしまう。だから身体がさらにだるく感じてしまうのだと言いました。がんもたいして縮小していない。医者からはもう一度カテーテル療法を勧められたとか。
   もちろん丹羽先生は「とんでもない!医者はそんなことを言っているんですか。目の前の患者さんがどれだけ弱っているか、しんどいかわからないんだ。数値と画像しか診ていないから。人を診ていない」といい、この日からお兄様は丹羽療法一本にされました。丹羽先生は、本当なら土佐清水病院に入院してもらうのがいちばんだけど、年齢が85歳で、かなり弱られているので、穏やかな余生を送れるように生薬と注射での治療にしようと。
   帰り際にお兄様は、「丹羽先生にお会いして、砂漠で水をいただいたようです」とおっしゃいました。印象的なひとことでした。
 
   兄の元気な姿にまるでお化けに会ったように驚いた医者!
 
   あれから3年。お兄様はいかがされているかとこちらから辻田さんに連絡してみました。「兄はこのごろは足腰が弱ってきて出歩くことがなくなりましたね。本当ならこのインタビューも兄が直接受けれればよかったんですが。でも、まだ頭はしっかりしていますし、この間なんかウナギを食べていましたよ」
   おとしはもうすぐ90歳。医者に告げられた余命はとっくに過ぎています。というか、日本人男性の平均寿命81歳も軽く飛び越えて、普通にご長寿といえます。
   丹羽先生の生薬は今も飲んでいるけれど、新横浜の診療所には行けていないとか。しかし3か月に一度、これまで通っていた病院で検査をしているそうです。「病院で検査してもらったデータを兄の息子が新横浜に持って行って、丹羽先生に診てもらっているようです」
   新横浜の診療所でお会いしたときは、ほんとうにつらそうだったお兄様。その後はどのように過ごされてきたのでしょうか。「あの日、薬をいただき、注射もしてもらったんです。それがすごく良かったみたいで、帰りには随分と楽になったといってました。何よりも、気持ちが楽になったといってました。それだけ抗がん剤治療はつらかったんでしょう」
   それからの回復具合には目を見張るものがあったといいます。「3か月後、病院に検査に行ったら、先生がびっくりしていたそうですよ。カテーテルでの抗がん剤治療もしないで、連絡もないからってきり亡くなったんだと思っていたそうです。ところが前より元気な姿で現れたものだから、お化けを見るように驚いていたと。いったい何をしてこんなに元気にと、丹羽先生の治療法に興味は持ったみたいですよ。でも、検査をしたらいわゆるマーカーの数値は減っていなかったんです」
   以前から丹羽先生は、マーカーの数値は参考にはするが、それだけがすべてではない、今の医者たちは数値だけでしか判断しないからいけないんだと言っていました。お兄様の場合も丹羽先生はがんの大きさを示すマーカー値ではない数値の変化を見て、「おお、私の薬が効いているといって喜んでいたそうですよ。僕にはそれが何なのかよくわからないのですが、兄は見る見る元気になっていました。体調がいいのか、食欲もあり、体重も増えたんです。とてもがん患者には見えませんでした」
   医者はマーカーの数値が下がっていなかったことから、いまは一時的に元気になっているだけで、そのうちに坂道を下るように悪化すると思っていたようです。ところがお兄様はどんどん元気になられたとか。「医者は、生きているのが不思議なくらいの数値なのに肌の色艶はいいし、元気だから、もうデータはとりたくないって」
   おそらく担当医の頭の中は?マーカー値でいっぱいだったはず。「がんが発覚してから5年近く。一時は大変な思いもしましたが、今は好きなものを好きなだけ食べ、ゆったりと過ごしています」
   理想のクオリティライフを過ごされているお兄様。
 
   丹羽先生の治療をもっと多くの人に伝えていきたい
 
   辻田さんの世話焼きは、これだけではありませんでした。「実は、僕の姉も2年くらい前にリウマチになって、ステロイドを使っていたから、これはいけないと言って、丹羽先生のことろに連れて行ったんです。杖をつかないと歩けないくらいでした。それがね、SODと丹羽先生の生薬で今はすっかり良くなって、元気にシャキシャキと歩いていますよ。91歳です」
   辻田さんの面倒見がいいのもありますが、やはり当のご本人が何度も生還してきたという事実があるから、説得力が違います。「僕も含め、本当に丹羽先生に診てもらってよかったです。このことをもっとたくさんの人に教えてあげたいですよ。年取ってから手術や抗がん剤なんか、絶対に良くないってことを。僕や兄がいい見本だと思うんですよ。僕もね、丹羽療法などを広めるために、もう一度、鍼灸治療院を再開しようかと思っているんです」
   さらにマラソンも走りたいとおっしゃる辻田さん。
   私たちもこれからも辻田さんをレポートしていきたいと思います。

 


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