2年前、ピックアップ004末期の肝硬変から奇跡の回復!SODで命拾い!で紹介させていただいた、奇跡の回復をされた星野さん。ご記憶の方もいらっしゃるかと思いますが、その星野さんから先日、研究会に電話をいたさきました。「静脈瘤がものの見事になくなったんです。SODの効果がまた出ました」電話の向こう側から若々しいはつらつとした声。
そもそも星野さんが肝硬変の末期と診断されたのは5年前のこと。群馬で親子3代に渡って酒屋を営んでいた星野さん。60歳とはいえまだまだ引退するには早すぎる。その日も月末の決算で、電卓片手に1ヶ月の収支計算をしていた。ところが、何度計算しても数字が合わない。体がだるくめまいがし始めた。さらに下半身がパンパンにむくみ、これはおかしいと近所の厚生病院に駆け込んだ。
むくみの症状から当初は腎臓に異常かあると思われたが、検査の結果は異常なし。となると他の臓器。「肝臓かもしれないので、県立癌センターで精密検査をしてみてはどうですか」といわれた。癌センター、このひとことで星野さんの頭の中は真っ白になったという。さらに癌センターで下された診断が、末期の肝硬変。生体肝移植をしなければ1年しかもたないと、余命1年を宣告されたのだった。星野さんはこの40年間、毎晩のように720ml入りの焼酎のボトルを2本は開けていたのだから、肝臓が悲鳴をあげても不思議はなかった。
そんなときに人からSODを勧められたのだった。幸いにも癌センターの先生が丹羽先生の療法を認知していたので、それも選択肢のひとつとして了解してくれた。加えて、抗がん剤はやめてもSODだけは続けたほうがいいというので、1日6包づつを飲み続けた。そうして1年。検査に赴いた癌センターで余命1年と宣告した先生から、驚いたことにすべての数値が正常値になっていることと、このまま何事もなければ平均寿命まで生きられると言われた。
初めて星野さんにお会いしたとき、「SODに出会えていなかったら、私は、今ここにはいませんから。もう生きていませんから。SODは外出のときも必ず持って出ます。肌身離さずですわ。ええ、お酒はもう一生分飲んだのでやめました。でも、タバコはやめられなくて続けています」と笑っていた。
そんな出会いから2年。電話の声は相変わらずお元気そうで、どうされたのかと思ったら、静脈瘤が見事になくなったというのです。肝硬変に静脈瘤はセットになっていてつきものだとか。星野さんの場合は、それが食堂にでき、5年前と4年前に一度ずつ取り除く治療をしていた。さらに毎年、一度、検査をし、3年前以降は小さいものだから取らないで様子をみましょうということだった。そして今年も10月10日に検査に出かけた。「そしたら、僕の食堂に入っている内視鏡の画面を見ている先生が、静脈瘤がまったく見当たらなくなったというんです。ほら見てご覧なさいといってモニターの画面を見せてもらったら、きれいな毛細血管が写っているだけなんです。去年まであった静脈瘤がまったくなくなっていた。陰も形もなかったんです」先生にも、問題ないといわれ、ようやく無罪放免。「先生もたまげていました(笑)。胃も腸もまったく問題なしで、これもSODのおかげです」
肝硬変から奇跡の生還をしてからというもの、いろんな人にSODを勧めて回り、最近では、話を聞いたといって、見ず知らずの人が星野さんを尋ねて来ることもあるとか。「やはりいいものは人に勧めたくなりますよね。自分がこんなに良くなったのだから。なんでもない人でも、飲み始めて1ヶ月で肌つやがよくなったと喜ばれます。がんの術後の人も、傷の治りが早いと驚かれました。糖尿病の人も、血流が悪く、足先が冷たくて夏でもコタツが必要だったけど、SODで血流が良くなって、コタツの必要がなくなったと喜ばれました。なにより勧めやすいのは、副作用がないことですよね。安心して飲んでくれと言える。なかにはがんの特効薬だとかいわれてわけのわからない10万、20万もするようなものを買っている人もいますが、そういうの見ていると、はがゆいですね。ばかだな、だまされているのにと思います。SODなら間違いないのにね」
失礼とは承知しながらも、SODファンクラブ会長と呼ばせていただきたいくらいの星野さん。まもなく68歳になろうとしているのに、お仕事は今も現役バリバリ。息子さんを手伝って店番からお酒の配達まで、軽トラックを駆って走り回っているとか。
お元気な姿が目に浮かぶようです。いつまでも現役でご活躍を。 |