親子3代に渡って酒屋を営む星野さんが、病に倒れたのは数年前のこと。電卓と帳簿を前に月末の決算をしていた。ところが、何度計算しても数字が合わない。体がだるくめまいがし始めた。気付くと下半身がパンパンにむくみ、これはおかしいと近所の厚生病院に駆け込んだ。
最初はむくみだから腎臓の機能が麻痺しているのではと、腎臓を検査してもらったが、正常だった。担当医に「これはおそらく肝臓に異変があるからでしょうね、県立の癌センターで精密な検査をしてはどうか」と、言われた。その瞬間、星野さんの頭の中は真っ白になったと言う。そりゃそうだ。医師の発言は、星野さんには癌宣告ろ同じに聞こえたに違いない。事実、そのときの担当医は、9割の確立で癌だと判断していた。酒屋だからというわではないが、この40年間、毎晩のように720mlの焼酎
2本は飲み続けていたのだから、肝臓が悲鳴をあげても不思議は無かった。
そうして重い気持ちを抱えて県立癌センターに行った。そこで何日もかけて検査し、もう身も心もボロボロになったときに下された診断が、末期の肝硬変だった。「生体肝移植をしなければ、1年しかもたない、って言われまして、正直、余命一年の覚悟を決めなければいけないのかと思いました」
そんなときにSODを勧められのだった。幸いにも、病院の先生がSODや、丹羽先生の治療法なども認知していて、それも選択枝のひとつとして了解してくれた。
そうして星野さんが飲み始めたSODは
1日6包。
加えて病院から出せれる薬で1ヶ月に掛かる費用の負担は相当なものだった。しかし、医者が抗癌剤は辞めても、SODはとにかく飲んだ方がいいと勧めてくれたのが励みになり、飲み続けた。
そうして1年。検査に赴いた癌センターで余命1年と宣告した先生が、「星野さん、検査の結果、全ての数値が正常値になりましたね、このままいけば、平均寿命まで生きますよ」と言ってくれたのだった。
「SODに出会っていなかったら、私は今ここにはいませんからね。もう生きていませんから。SODは外出のときも必ず持って出ます。肌身離さずですわ。ええ、お酒はもう、一生分以上飲んだんで、やめました。でも、タバコは吸っていますがね(笑)」
九死に一生を得た星野さんは、自営業は生涯現役だから、と言って今日も酒屋の店先に立っている。隣で息子さんも「あのときはホントにもうダメだとあきらめていました、そしたら生き返った」と笑う。
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