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 Book 016


『看取り先生の遺言』 〜2000人以上を看取った「往生伝」〜
奥野修司 著

 

 
   今回紹介するのは、2012年に享年62歳で亡くなられた、岡部健医師の終末医療への取り組み、考えを遺言のようにまとめた本です。
   始まりは、岡部医師が胃がんになり、余命10か月を告げられた事実から始まります。全編にわたり、岡部医師自身が痛感している現在の医療の問題点、制度への疑問などが語られ、検診の意味と無意味な抗がん剤という毒の扱いについても警鐘を鳴らしています。
   そんな問題の多い医療現場での経験から、肺がんのスペシャリストであり、がんセンターの医長という地位を捨て治せないがん疾患の専門医になろう≠ニ決意しました。自宅で死を迎えるための在宅医に転じたのです。そして、在宅ケアのパイオニアとして2千人以上を看取ってきました。
   この本のテーマはタイトルが示すとおり看取り≠ナすが、抗がん剤の危険性についても多くのページが割かれています。なぜなら岡部医師が肺がんのスペシャリストであり、自身ががんに侵されたからです。自身ががん医療、終末医療を医師として患者として体現したのです。
 
   知りたくもない未来を知ることもある検査
 
   胃がんであることを岡部医師が知ったのは、60歳のときでした。発覚し手術をしたときは膵臓や肝臓にも転移があり、ステージ4(末期)でした。これまで健康で、一度も検診を受けてこなかったことが周囲を驚かせたそうです。岡部医師が検診を受けなかった理由は、喫煙者であった彼は、がんになるなら肺がんだと思い込んでいたから。肺がんは早期発見でも75%は助からない。4人に3人は助からないのに、発覚して治らないと分かったら、間違いなくQOL(クオリティーオブライフ=生活の質)はガクンと落ちる。だったら知らないほうがいい。これが肺がんのスペシャリストの見解です。ところが胃がんだった。しかし、彼の見解は、胃がんの検診は精度が悪から役に立たない、レントゲンで早期胃がんなどわかるわけがない。胃カメラも腕のいい医者ならいいが、そうでないと穿孔(胃に穴が開く)のリスクがある。
   「検査というのは未来を知る技術のひとつということを、あまりに安易に考えていないだろうか。決していい未来を知るだけではない。知りたくもない未来を知るだけではない。知りたくもない未来を知ることは、人を不幸にするだけだろう。がん治療というのは博打に近い。余命2か月が半年になったり、その逆もある。抗がん剤が効かなくて副作用だけ味わう人も多い。早めに未来を知れば、いい賭けができるかというとそうではないことがいっぱいある。延々検査を繰り返すことで不安が積み重なっていくこと。検査結果が悪かった、どうしようとオロオロしているときに、効くかどうかも分からない抗がん剤治療を勧められ、パニックになる。検査なんて知りたくない人間には大きなお世話なのである」
   そんな岡部医師は、自身のがん治療にも自分の経験と勘を押し通しました。
   病院側が最初に提示した治療法は、まず抗がん剤で腫瘍を小さくし、そのあと外科手術で取る、というものでした。これは非常に標準的な治療方法だそうです。しかし、彼は「私もこれまで抗がん剤を投与してから外科手術をよくやったが、ろくな結果になっていない。細胞毒性の強い抗がん剤を体内に入れると、その人の治癒力が落ちて手術のリスクが高くなってしまうのだ」
   という経験から、抗がん剤を使わず外科手術を先行させました。これが肺がんなら手術すらしなかったといいます。
 
   腫瘍の縮小は治癒ではな
 
   手術が終わり、転移が3か所あったことを知らされた岡部医師。
   さすがに終わったなと覚悟したそうです。というのは、転移は3個が限度でそれ以上はアウトとか。3個もあれば治癒率は非常に低くなる。
   「腫瘍は、CR(コンプリートレスポン=完全寛解=すべての病変で100%の縮小が4週間以上持続)にならない限り、ロクなことにはならない。CRになって初めて生命予後が良くなる可能性がある。抗がん剤だけでは必ず腫瘍が残る。PR(パーシャルレスポンス=部分寛解=病変の50%以上の縮小が4週間以上持続)はグレーゾーンで、私の経験上、神経を圧迫している腫瘍を小さくしてラクにするといった緩和医療には使えても、予後延長効果は期待できないと思う。CRとPRは別次元。さらに、完全に消えるといっても、画像診断上見えなくなるということで、がん細胞がなくなるわけではない。治癒したことではない。よく患者さんが誤解をするのはこの抗がん剤はよく効きますよ≠ニ医者から言われると治る≠ニ理解してしまうことである。効く=治る≠ニはどこにも書かれていないのである。患者さんは治りたい気持ちが強いと、つい医者の口車に乗って騙されてしまう」
   手術でCRになったが、余命の目安は10か月と言われました。また、膵臓の一部を切除したため、膵液や胆汁が流れ出て、チューブを入れて、2か月も入院したのです。医者はさらなる入院を勧めましたが、彼は、これ以上病院にはいたくなかったといいます。末期がんの患者に今更のまずい減塩食。個を無視した軍隊のような団体生活。これでは治るものも治らない。入院して初めて分かった患者さんの気持ちだったそうです。
   「私が退院したもう一つの理由は、抗がん剤を含めた医療に幻想を持っていなかったからだ、術後の自分のこれ以上の抗がん剤は使えないなら、家という日常に帰って好きなものを食べたほうがいい。食えない病院より、家でインスタント焼きそばを食べていたほうが、よほど健康にいい」
   それでも腫瘍内科の教授からはシスプラチンという強い抗がん剤を勧められたそうです。
   「一般の患者さんなら、お任せしますと受けていただろうが、私は、これをやったら死ぬなと思った」
   自身が医者だからこそ、体力がなければ強い抗がん剤は使ってはいけないことを知っていたわけです。しかし、普通のがん専門医の医者は、がん細胞しか見ていないということかもしれません。
   このあと岡部医師は、余命わすかなのだから、緩和ケアを若い医師に経験させたいということで、主治医を変えました。そして、ラジオ波と弱い抗がん剤を併用して、2年以上も延命できたのです。そして、亡くなる直前まで、その後の検査は一切しなかったそうです。
 
   抗がん剤は薬ではない
 
   さらに岡部医師は抗がん剤に関して、かなりショッキングなお話をされています。
   「抗がん剤治療はまだ発展途上の学問である。いまだに効くか効かないかの適応基準がない。40年前と同じレベル。言ってしまえば、抗がん剤によって殺しの手助けをやっていた時期もあった。少なくとも医師は、抗がん剤は人を殺すほどの毒性を持っているということを自覚すべきだ。抗がん剤に漠然といい薬など存在しない。なぜならすべて毒だからである。患者さんにとって毒になるか薬になるかはやってみないと分からない。通常の薬剤では考えられない薬だということを認識していない医者があまりにも多すぎる。もうあなたに効く抗がん剤はありませんと言ったら、患者さんの夢を奪うことになる≠ニ言った医者がいた。では夢を持たせるために毒を盛っていいのかと私は言いたい。抗がん剤を使い慣れている医者ほど、抗がん剤は毒物であるという認識が薄い。自分たちが投与した抗がん剤で患者さんが死んだと認識したくないからだ」
   丹羽先生もおっしゃっているように、最近は、白血病や悪性リンパ腫の一部や血液系統のがんの抗がん剤治癒率はかなり向上したし、大腸がんも予後延長が期待できると言います。しかし、基本、抗がん剤はダメと言っています。がん細胞が死に絶える前に人の細胞が死んでしまうと言います。
   「効くものに効くようになったから、医者も患者さんも、抗がん剤をやればなんでも効くと錯覚する。抗がん剤と普通の薬との大きな違いは、例えば、急性咽頭炎にかかり、ペニシリンを使って効かなくても、ペニシリンで死ぬことはまずありません。しかし、抗がん剤は効かないのが大半で、効かなかった時には寿命を縮めることになる」
 
   延命ではなく、QOLを評価の基準に
 
   日本がん治療学会の「がん診療ガイドライン」には、抗がん剤を使っていいのは、ステージ2までと書かれているそうです。なのに、ステージ3以上で抗がん剤を投与されたりする患者があまりにも多いそうです
   「71歳の肺がん患者さんは、肺以外にも転移していて、おしっこしても痛い、口の中も痛い、髪は抜ける、食べられないと散々でした。なのに、先生から次の抗がん剤は効くといわれて、さらに苦しくなって、先生にここが痛いあそこが苦しいと言ったら、僕はがんの専門だから、それは緩和ケアに行きなさいと言われたそうです。こんなことが日常茶飯事に起こっている。抗がん剤をやって、ベッドの上で唸っていたとする。それで、1、2か月延命できたとしても、患者さん本人が幸せを感じるかどうかは別問題。医療機関がこの問題に答えていないのは、今の抗がん剤の評価が、単に肉体としての生存期間が増えるかどうかの計算しかしていないからだ。患者さん目線で抗がん剤を評価するには、もうひとつ評価基準、QOLが必要ではないだろうか」
 
   抗がん剤を勧められたらどうすればいいか
 
   もしも抗がん剤を医者に勧められたら、私たちはどう対処すればいいのか、岡部医師は本の中で語ってくれています。
   「専門家である医者がこの抗がん剤は効くと言えば、患者さんはそれを聞いて治ると思うはずである。期待だけさせて、あとで奈落に落とすのは医者のすることではない。病院も商売さから、抗がん剤はダメ、使わないほうがいいとは言えない。抗がん剤に誘導するはず。そのときに次の4点を確認するできだろう。
 @この生存曲線はどれくらい伸びるのですか
 Aその根拠(エビデンス)はでているのですか
 B出ているとしたら何か月くらいですか
 C効かなかったときにはどうなるのですか。予後が短くなるということですか
重要なのは最後のCである。抗がん剤をやるというのは、自分の命を担保に博打を打つんだから、納得するまで調べなさい」
   この場合、ネットでもいろいろ調べられるそうですが、いかんせん、専門用語が多く、素人には理解しがたいとか。そして、もしも誰かに聞くとしたら、間違っても担当医などはいけないといいます。信頼できる専門家、もしくは岡部先生がやっていたような緩和ケア外来などといいます。さらに、75歳以上なら抗がん剤は使わないこと。合併症などのリスクが大きくなるからだそうです。
 
   病院は死にゆく人の不安に関して医療行為外のものと判断
 
    がんに関する紹介が多くなってしまいましたが、最後に、岡部先生が心血を注いだ、緩和ケア、看取りについて紹介します。
   岡部医師が治せないがん患者の専門医になろう≠ニ決意し、宮城県に住宅ケアの病院を作ることになった要因はいくつもあったそうです。自身の父親の介護。気管を切開し人工呼吸器で肺炎を治すという手術で得意になっていたら、2年後に再び入院してきたその患者さんから、チューブを全部はずしてくれ、お前が若くてがんばっていたから我慢したが、もういい加減にしてくれ、自然に逝かせてくれ、といわれたこと。亡くなる直前の患者さんによくある幻覚=お迎え≠フ存在、そして2011年に起こった東日本大震災でした。
   今の日本の医療では、死に対して医者は道しるべを示せない、治らない患者さんの心のケアをしない、ホスピスや緩和ケアでは患者さんの不安が取れないと思われたのです。
   岡部医師の遺言を託された著者は冒頭で、「医療とは、病院の患者をもとの元気な姿に戻すことである。しかし、死はもとに戻らない。ゆえに、死は医療の対象とならないのである。ところが戦後の日本は、死を病院が囲い込んでしまった。おかげで、人が死にゆくところを見守ったことがない日本人が大半となり、死はフィクションになってしまった。死に際して、死にゆく人も看取る家族も、これほど不安でつらいことはない。しかし、国家は、そんな患者や家族をどう支えていくといったことには関心がない。医療費削減が目的だから」といいます。
   また岡部医師も、「患者さんは個人史を背負った個として存在しているのに、病院というのは患者さんの生きてきた歴史をすべて捨て去ることになる。個人ごとに治療が異なっては困るからだ。もちろん入院も、看取りも、死後処理も公平で均一化している。個人史を反映できるのは、在宅でしかない。終末においては医者の力なんかほとんどいらない。必要なのは介護の力なのが」といいます。
   私たちは、病院といってもホスピスや緩和ケアはがんに対する痛みなどを取ってくれて、安らかな場所だと思っています。しかし、そこでも、「痛みを緩和するためのモルヒネ、その使い方が分かっていない医者が多い。日本は極端にモルヒネを危険視し、使いすぎないように処方する」
   カナダのそれと比べ、消費量は15分の1といいますから、いかに少ないかが分かります。そのせいで、長時間型が使われ、それは2時間くらいしないと効果が出なくて、すぐに取りたい痛みには効かないそうです。
   「病院は、呼吸器科は呼吸器を専門にしているけど、痛みと症状コントロールを専門にしてはいない」
   なおかつ、幻覚症状などが出ると、すぐさま鎮静剤を使って眠られるそうです。そして点滴やら、胃瘻などで余計な延命措置をとる、それが病院ということろだと言います。
   以前、このコーナーで紹介した『大往生したけりゃ医療とかかわるな』の著者、中村仁一先生も、著書のなかで、「今の時代、がんで死ぬのではなく、がんの治療で死ぬんですよ。ホスピスは、がんに対する攻撃的治療をやりたい放題やったあげく、刀折れ、矢尽きた果てに到達する場所になっているのでは?つまり、金属バットで思い切り殴った跡を撫でさする場所。ならば金属バットで殴るのをやめればいいのでは?と思うのに後を絶たないのが実情。がんで痛いのではなく、がんの治療、抗がん剤で痛いのです。
   自然死はそんなに過酷ではないのです。私たちのご先祖はみんなこうして無事に死んでいったのです。げんが原因のj人も多かったはずですが、そんなことわからず、ただ老衰として安らかに死んでいったのです。とろこがここ数十年、死にかけるとすぐに病院に行くようになるなど、様相が一変しました。病院ではできる限りのことをして延命を図るのが使命です。しかし、死を止めたり、治したりはできません。治せない死に対して治すためのパターン化した医療措置を行います。食べられなくなれば胃瘻(お腹に穴を開け、そこからチューブを通じて水分や栄養を補給)、脱水なら点滴注射、貧血があれば輸血、小便が出なければ利尿剤を、血圧が下がれば昇圧剤と。これらの処置は、せっかく自然が用意してくれた、ばんやりとして不安も恐ろしさも感じない幸せムードのなかで死んでいける過程をぶち壊しているのです」
   と、岡部医師とまったく同じことをおっしゃっています。
 
   やがて団塊世代が死にゆく時代
 
   「かつて老残をさらすことは恥と感じる文化があったのに、日本人からあの潔さがなくなってしまったのはなぜだろう。生きながらえる価値観しか認めない、おかしな社会になった。がんになって思うのが、長寿信仰は患者さんを非常に苦しめるということだ。人間60歳を過ぎたら、明らかに生命体としての生存意義が終わっているのだ。人間、ほどほどでいいのだ。私は長生きよりも、私なりのQOLを選んだのだから、酒もたばこも止めなかった。ま、ちょっとくじ運が悪かったかなとあきらめるしかない。
   医者は医療技術を持っていても、あの世は語れない。科学で解明できないものを口にすると、頭が変になったという一言で片付けられてしまう。しかし、あの世からお迎えが来る、というだけで患者さんはどれだけ救われるか、見送る先があっての緩和ケアなのだから。欧米のように宗教者が看取りの現場に入っていって支えるべきではないだろうか」
   実際、岡部医師は、臨床宗教師の重要性をとき、東北大学で続けられてる臨床講座の発端となっています。
   「やがて団塊の世代がバタバタと死んでいく時代が来る。そのとき、死への道しるべを示さなければ、在宅地獄になるだろう。片っ端からベルトコンベアー式に鎮静をかけて、反対側から遺体が転がり出てくるようなシステムを望むならそれでいいが、それではあんまりだろう。その土地の生活に根ざした死生観に耳を傾ければ、あの世とこの世の橋渡しを可能にするお迎えも受け止められるはず。あの世に行ったらまた会えるよ、といった話ができることが、道しるべになるのだと思う」
   岡部医師は、亡くなられる直前まで、講演で看取りのことを語り続けたそうです。この本、単行本は2013年に、文庫は2016年1月に発表されました。専門医学用語も出てはきますが、岡部医師の大きな人間性、ユーモラスな口調も魅力的で、読み応えのある一冊。特にラスト、京都大学のカールベッカー教授との対談は、感動的で涙が止まりませんでした。
 

 


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