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〜自然死のすすめ〜 中村仁一医師 著 |
Book 009 |
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『大往生したけりゃ医療とかかわるな』 〜自然死のすすめ〜 |
中村仁一 医師 |
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今回紹介する本は、すでにベストセラーになっている話題の新書です。著者の中村先生は、丹羽先生と同じ京都大学医学部を卒業。勤務医、財団法人高雄病院院長を経て、2000年から老人ホーム「同和園」の付属診療所所長として医療に関わっています。同時に96年より市民グループ「自分の死を考える集い」を主宰。また、京都仏教青年会の協力のもと「病院法話」を開催し、医療と仏教連携の先駆けとして活躍しています。 このような紹介をすると、内容は「死」や仏教にまつわることなのかなと思われますが、意外や意外、読み進めると、本筋は現代医療の盲点を鋭く突いた一冊です。そしてそこには丹羽先生が常日頃おっしゃっていることと共通するお話しがたくさん出てきます。 医療に対する思い込み はじめに、著書の中で行っている、医療に対する15の質問にみなさんも答えてみてください。 @ ちょっと具合が悪くなるとすぐ医者にかかる A 薬を飲まないことには病気は良くならない B 病名がつかないと不安 C 医者にかかった以上、薬をもらわないことには気がすまない D 医者は病気のことならなんでもわかる E 病気は注射を打った方が早くよくなる F よく検査するのは熱心ないい医者だ G 医者にあれこれ質問するのは失礼だ H 医者はプロだから、自分にいちばんいい治療法を教えてくれるはず I大病院ほど信頼できる医者がたくさんいる J 入院するのなら大病院、大学病院のほうが安心できる K 外科の教授は手術がうまい L マスコミに登場する医者は名医だ M 医学博士は腕がいい N リハビリはすればするほど効果が出る 「はい」と答えた数はいくつでしたか?著者の中村先生主催する「自分の死を考える集い」の参加メンバーの答えは、ほとんどゼロだったそうです。丹羽療法に理解や関心のある方も、おそらく「はい」の数は少なかったのではないかと思います。 中村先生は言います。 「日本人はあまりにもホイホイと病院に行きすぎる。健康保険のおかげでわずかな自己資金で医者にかかれる状況にあることや、素人判断で様子見していて手遅れになったらどうするのか、という医者側の脅しがきいているせいで、ちょっと頭が痛いだけですぐCT検査を希望する状況があります。かつてアメリカの権威ある学術専門誌の編集長は『病気の80%は医者にかかる必要がない。かかったために悪い結果になったのが10%弱』と言いました。病院とは本来、危ない恐ろしいところなんです。だから軽い病気で病院に行って、重い病気をお土産にもらって帰る可能性があるのです。それゆえ、本来、病院は命がけで行くところなんです」 病院とは命がけで行くところ、と言われればそうかもしれません。病院勤めの人はしょっちゅう風邪をひいているという話を聞いたことがあります。 Aの薬のくだりは、丹羽先生もいつも言います。薬は化学薬品。だから常用していると必ず何かしらの副作用があるし、決して病を治してくれるわけではなく、抑えるだけのものだと。同様に、中村先生も、「風邪など、原因の大部分がウイルスの場合、安静、保温、栄養のもと、発熱の助けを借りて自分で治すしかないのです。医者にかかったからといって早く治せるわけではない。症状というのは、早く治そうとする身体の反応、警戒サインですから、それをむやみに抑えるのは「自然治癒」を邪魔することになり、かえって治りを遅らせてしまうと考えたほうがいいのです。病気を治す主役が薬という思い込み。元来薬は化学物質であり、異物だから身体にいいもの、必要なものではありません。いまだに風邪は注射一本で治ると勘違いしているお年寄りが多いですね」 Bも、感染症などの原因のはっきりしたもの以外は病名の特定は難しいそうです。「難病や生活習慣病はその原因が、悪い生活習慣、老化など多岐にわたり、特定できないものです。したがって完治はないんです。あと、年のせいを認めようとしないで、老いを病にすり替えてしまう」 これも丹羽先生がよくおっしゃっていることです。難病、生活習慣病、老化に完治はないと。和らげる、進行を遅らせることしかできないと。丹羽先生の診療所でも、膝が悪いお年寄りにおかあちゃん、これは歳のせいやから仕方ない。ようはならん。SODと私の特製の生薬で和らげることしかできん≠ニおっしゃっている姿をみかけたことがあります。 中村先生は言います。病気を治すのは医者ではなく、本人自身だと。薬や病院に頼りすぎて自身の危険サインに気付かない人が増えているそうです。 「ここ30、40年、近代医学の発達に幻惑され、また、医療が非常に手軽に利用できる状況が生まれました。そして内部から発せられるサインをキャッチする能力を他人(医者)任せにした結果、極度に衰退させてしまいました。だいたい本人に治せないものを他人である医者が治せるはずがないのです。サインをキャッチする能力があれば、突然死なんて起こるはずがないんです。起こるということは、サインをキャッチする能力を失ったか、軽視、無視した結果だと思う。必ず前触れがあったはず。人間というこんなに精巧にできたものが、なんの兆候もなく突然ぶっ壊れることはとうてい考えられないからです」 治療という名の拷問 先生がこの本のなかで再三言っているのは、結局、自己免疫力を高めることです。この主役の免疫力さえあれば、たいていの病気を自分の力で追い払うことができると。薬を飲んだりして症状を抑えると、免疫力の活躍の場を邪魔してしまうと。 そしてもうひとつ、この本の大きなテーマは「自然死」です。 自然死に至る脳の変化は、 「餓死」⇒脳内にモルヒネ様物質が分泌される 「脱水」⇒意識レベルが下がる 「酸欠状態」⇒脳内にモルヒネ様物質が分泌される 「炭酸ガス貯溜」⇒麻痺作用あり という過程をたどり、なんの医療措置も行わなければ、死に際は夢うつつの気持ちのいい、穏やかな状態になるそうです。 「これが自然の仕組みです。自然はそんなに過酷ではないのです。私たちのご先祖はみんなこうして無事に死んでいったのです。ところがここ数十年、死にかけるとすぐに病院に行くようになるなど、様相が一変しました。病院ではできる限りのことをして延命を図るのが使命です。しかし、死を止めたり、治したりはできません。治せない死に対して治すためのパターン化した医療措置を行います。食べられなくなれば胃瘻(お腹に穴を開け、そこからチューブを通じて水分や栄養を補給)、脱水なら点滴注射、貧血があれば輸血、小便がでなければ利尿剤を、血圧が下がれば昇圧剤と。これらの処置は、せっかく自然が用意してくれた、ぼんやりとして不安も恐ろしさも感じない幸せムードのなかで死んでいける過程をぶち壊しているのです」 先生は12年間の老人ホーム医療でそのことを確信したそうです。老人医学学界が、食べられなくなった85歳の末期のアルツハイマーの患者にどう対処するかのアンケートを行ったそうです。1500人余りの医者からの回答で、何もしないはたったの10%。胃瘻が21%、経鼻チューブが13%、点滴が51%でした。先生曰く、これは枯れかけた植物にせっせと肥料をやっているようなものだそうです。それでも植物は吸収しないからいいけど、人は、体内に外からむりやりチューブを突っ込んで入れるわけです。 「いかに死にゆく人間に苦痛と負担を強いているか。治療という名の拷問を受けないと死なせてもらえないんです。いまや誰にも邪魔されずに穏やかでやすらかな自然死コースを辿れるのは孤独死か野垂れ死にしかないのです。末期の老人は食べないから死ぬのではなく、死に時がきたから食べないんです」 そうして先生は言います。 「本来医療には目標がなければならに。@回復の見込みがある。A生活の中身(QOLクオリティオブライフ)が改善する。これらがなく、命の火が消えかかっている状態での胃瘻や経鼻チューブは回復させることも、生活の質の改善も期待できない。逆に苦痛と負担を強いるんです」 死ぬのはがんに限る 死ぬならがんに限ると言い切る中村先生。その根拠は、先生は、救急車は呼ばない、乗らない、入院しない、人間ドックやがん検診はしないをモットーにしているとか。だから比較的最後まで意識が清明で意思表示が可能ながんは、願ってもない病気だそうです。「がん死は気未来の確実な死刑執行日を約束してくれます。そのためにきちんと身辺整理ができ、お世話になった人にちゅんとお別れがいえる得がたい死に方だと思うのです」 ただ、素人的に、がん死は強烈な痛みに襲われるのではないかと思ってしまいます。しかし先生は、老人ホームでたくさんの患者さんたちを看取ってきた経験で得たといいます。「お年寄りのがん患者で、がんに対してなんらかの攻撃的治療を(抗がん剤、放射線治療など)しない場合、まったく痛みがないんです。麻薬を使ったことは一度もない。私は老人ホームで患者さんたちを看取って、死ぬのはがんに限ると確信したのです」 先生はいいます。がんで痛みが出るのは、結局、放射線を浴びせたり、猛毒の抗がん剤で中途半端に痛みつけたりするからだと。 「今の時代、がんで死ぬのではなく、がんの治療で死ぬんですよ。ホスピスは、がんに対する攻撃的治療をやりたい放題やったあげく、刀折れ、矢尽きた果てに到達する場所になっているのでは?つまり、金属バットで思い切り殴った跡を撫でさする場所。ならば金属バットで殴るのをやめればいいのでは?と思うのに後を絶たないのが実情」 まさに丹羽先生の抗がん剤治療に対する所見と同じです。 中村先生の著書よりこのようにいくつかのトピックスを抜粋して紹介してきましたが、この本の特徴をもうひとつ紹介させていただくと、非常に分かりやすくユーモアラスに書かれているということです。ホスピスの比喩でも分かるように、このような比喩が随所にあり、さらに「自分の死を考える集い」で行われる「死に装束ファッションショー」や「模擬葬儀で棺桶に入る体験」などのくだりでは大爆笑。サイズも新書で手に取りやすく、最後まで一気にうなずいたり笑ったり、ためになって楽しめる一冊としてお勧めします。 |
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