侑子夫人「そのうなのです。だから、詳しいことは分からず、とりあえず勧められて飲んでみました。主人も私もスポーツ好きで、冬は必ずスキーに行くのですが、SODを飲み始めて14日目にスキーに行ったところ、いつもリフトを2本乗り継いで上まで行って降りてくるのですが、息が切れるので途中2回くらい止まりながら滑り降りていたのです。ところが、そのときはノンストップで降りて来ました。そんなことは初めてだったので、このSODを飲んだためだと思いました。主人は最初、そんなはずはないとかいっていたんですよ。でも、いつのまにか飲み始めたのです(笑)。以来ずっと愛用させていただいています」
院長「丹羽先生の著書にも潰瘍性大腸炎に何%効いたというようないくつかのデータが載っていました。そういうのをみて、ああ、これは医学的にもしっかりしたものだなと感じました。その頃うちにいた先生がSODを潰瘍性大腸炎の患者さんに使いたいと言うような話も実際あったのです。が、いかんせん保険薬じゃないから患者さんにはそういうのを処方はできません。厚生労働省の指導でそうなっているので、患者さんに使うことは出来ないといいました。けれど、いいものは自分たちで飲もうよ、といことになったのですね」
侑子夫人「周りの知人にも老化防止で元気になるわよと勧めたものです」
―――丹羽先生との出会いは?
院長「お会いするのは今回が2回目です。しかも初めてお会いしたのは今年に入ってからです」
―――最初は札幌の丹羽先生の診療所で?
院長「いや、丹羽先生がいらしてくれたのです。というのは、話すと長くなるのですが、僕たちSODを飲み始めて、もうひとつなにかがもの足りないことがあったのです。それは、今で言うエビデンス、医学的な治験に基づいた情報が欲しかったのです。それがないと人に勧められないのですよ。そしたら、去年の暮れに、たまたま冊子が送られてきて、これは人に見せても理解できそうだと思ったのです」
侑子夫人「それを読んでいるうちに、私もいろいろ聞きたくて土佐清水病院にお電話したのです。そしたら事務員の方から、それだったら今年の1月16日に札幌の診療所に来てくれれば、丹羽先生と時間が取れるという話だったのです。丹羽先生のことをより知って、SODのことを人に勧めるには、もうちょっと突っ込みたかったんですね。でも、札幌まではいけないのですと申しましたら、秘書の方から連絡をいただいて、30日にそちらに行きますからとのこと。来れるならそれなりの席をご用意しなければいけないと思い、その旨をお伝えしましたが、秘書さんが、そんな配慮はいりませんと。食事は旭川に行く車の中でパンをかじりながらそちらの病院に行きますとおっしゃったの」
―――即決即断は丹羽先生らしいですね。
侑子夫人「当日、6時半過ぎにいらして、9時半ごろまでお話しました。それが初めての出会いです。(丹羽先生は佐野病院のこともインターネットで調べていらしたとのこと)先生のSODのこと、代替医療で人を救いたいとの思いが良くわかりました。その話の中で講演会のことも出ました」
―――講演をゾンタクラブで開催されたのは?
侑子夫人「実は、クラブの年間行事で、2月か3月に卓話をやることになっていました。そのため講師を探していたのです。それで、丹羽先生が毎月一度札幌までいらしていることが分かり、厚かましく卓話をしていただけないかとお声を掛けてみたのです。先生はいいですよとお答え下さいました。さっそく丹羽先生の講演の話を会員に伝え臨時会議を開きました。活性酸素の世界的権威の講師のお話を少数の私たちだけで聞くのは勿体ないと、会員だけでなく一般の方、医療機関の方、報道関係の方など広く聞いていただくことにしました。結果、旭川ゾンタクラブの講演会が実現したのです」 |