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 髪の美と健康で善行!
 あらゆる髪の悩みを解決してくれヘアードクター!

  神奈川県  木津敏行さん (58歳) 男性
 
    突然ですがみなさんは髪の毛について考えたことありますか?髪は生えては伸び、伸びては抜けるというローテーションを繰り返しています。伸びた髪を美容院や理容院で普通にカットしたり、カラーリングしたり、パーマをかけたりしています。そんな中、普段髪の毛や毛根の健康なんてことはあまり考えたことはないと思います。しかし、私たちの髪の毛には、様々な情報が含まれています。実際、薬物を使用したかどうかを調べる薬物検査などは髪の毛一本から判明すると言われていますし、同様にDNA鑑定なども髪の毛と毛根からある程度はできるそうです。さらに髪の毛から子孫の系譜や食生活までわかるとか。抗がん剤の副作用で髪が抜け落ちることは周知の事実です。
   今回、愛飲者インタビューに登場していただくのは、神奈川県藤沢市で本質美を追求する価値創造サロン「D-hair」を経営している木津敏行さんです。「店の名前は、ドライカットのD∞ヘアーデザインのD∞ヘアードクターのD≠とってD-hairにしました。お客様の要望を完璧にかなえる、つまりドリームヘアーのD≠目指しました」というお店は小田急電鉄江ノ島線沿線にある善行という駅から徒歩数分。丘陵と坂道が混ざり合う、閑静な住宅地にありました。善行という縁起のいい駅の名称は、ICカード乗車券が主流になってからは切符という言葉も聞かれなくなりましたが、かつては幸福駅のように記念切符が人気だったこともあるとか。実は木津さんもこの地に店をオープンすることにした訳は、善行という駅の名前が自分のやろうとしていることにつながっていると感じたからだと言います。
   今回は、木津さんの熱い思いやこだわりがダイレクトに皆様に伝わるようにということで、わざわざ自ら原稿を書いてくださいました。 
 
   髪は体の一部!匠ドライカット誕生まで
 

    新潟出身の私は4代続く理容師の次男として生まれました。小さい頃より体が大変弱く、3歳で脱腸の手術を受け、5際で心臓の大手術を受けました。当時引っ込み思案で人の後ろを歩く存在でした。子供が好きだったので、学校の教員を目指したところ受験に失敗して進路に迷いました。そこで理容師である父の友人が私に、美容師はどんな不況になっても食べていけるから、美容師を目指しなさい。と確信のあるアドバイスをくれました。
   僕はすごく不器用で人並みにできるようになるまで大変な時間がかかりました。ですから途中で何百回もやめようと思いました。それでも何人かの師匠の師事を受けながら続けられたのは、美容師という仕事の奥深さだったのかもしれません。最初は美容師はシャンプーとカット、パーマだけだ思っていたのが、メイクや化粧品のことも学び、美について考え、さらに髪は体の一部であるということに気づいていったのです。
   もともと、何か疑問にぶつかると、どうしてこうなるんだろう、なざなんだろうと考えたり、突き詰めたりする性格なんです。どうしてカットしたあとにブローする必要があるのかと真剣に考えました。そんな中、ニューヨークドライカットというカットだけでくせ毛をカバーできる技術に出会えたのです。面で切るのではなく点で切る感覚、ブローで髪を整えるのではなく、カットで整える。感動すら覚え、これだと思いました。この技術をやりたいと・・・。そしてニューヨークドライカットを習得するために練習を重ねました。しかし、早く実践で使っていきたいという思いがつのり、2年後の32歳の時にD-hairをオープンさせました。

   当初は従来のウエットカットを行いつつ、くせ毛などで悩んでいる方を対象にドライカットを取り入れていきました。また、以前勤めていたサロンではとても育毛を重要視していたので、薄毛で悩む方を対象にヘッドスパを導入し、日夜マイクロスコープ(高密度なデジタルカメラを搭載し、観察対象をモニターに映し出して観察する機器)で頭皮の状態を観察していました。おのずと、頭皮を見ながらカットをすることが多くなり、頭皮が赤かったり、頭皮の凹凸や毛穴の周りがきれいではないお客様が意外に多いと思いました。そこで頭皮の状態が良くない人に尋ねてみると、髪を洗ったあとにドライヤーで乾かしてない人がほとんどだったのです。あと、朝シャンプーを続けている方は白髪がはやく出るという傾向にも気づきました。そして頭皮の状態が悪い人はそのまま髪質が悪くなるということにつながるのです。
   これを改善してくれたのが、水とミネラルと無添加に35年こだわり続けた会社の洗浄剤でした。例をあげれば、思春期くらいからくせが出ている子たちの髪質の改善や円形脱毛症の頭皮の改善などがあげられます。と同時に、円形脱毛症の方に無我夢中でドライカットしていくうち、本当にカットで円形脱毛がかくれるようになりました。そして、これを応用したツムジが割れないドライカットの開発へとつながっていったのです。
 
   SODを知るため土佐清水病院に!
 
   そんな中、10年くらい通ってくださっているお客様のYさんから、B型肝炎でインターフェロンの治療をしていて髪が弱ってしまったのだけどパーマをかけてほしいという電話をいただいたのです。どのような状態になっているのか分かりませんでしたから、できますよと応えましが、いざ拝見したときは震えるほど怖さを感じました。というのは、太くてさらさらだったYさんの髪が蜘蛛の糸のようになっていたからです。   このときから私は、体の健康と髪について深く考えるようになったのです。
   丹羽メディカルさんから電話をいただくようになったのは、ちょうどこの頃でした。
   SOD酵素の話も、過酸化脂質の話もすでに知っていましたし、先にあげた洗浄剤で毛穴の過酸化脂質はいつも分解洗浄して、髪のつや、はりを回復させていました。つまり髪における外的要因に関してはクリアできていました。しかし、体の内側にも全く同じ要因が作用しているのは知りませんでした。ですから、まずは自分の体でSODを試してみようと思いました。いつもそうなのですが、まずは自分で試して、良いとなればその喜びをお客様に話します。当時はひとりで営業していましたから喜びはお客様との共有になります。(今は3人のスタッフとも喜びを共有できます)
   私は昔から下痢体質で、少し緊張したり、お腹が冷えるとトイレに駆け込んでいました。仕事中にもそんなことがあり、実は、困っていたのです。それが、SODを飲み始めてから、トイレの回数がぐんと減って、効果がすぐに現れました。

しかし、なかなか高額な健康食品でしたから、すぐにお客様と共有することにためらいがありました。そもそも、世の中に蔓延しすぎている健康食品に対してうさんくささも感じていました。これは、この商品を作った丹羽先生を訪ねて、土佐清水に行くしかない≠ニ思い、四国に飛んでいました。病院やその周囲の環境に触れ、近隣の方々の声を聞き、これは間違いないと判断したのです。SODは髪の健康はもちろん、体の健康を内側からサポートしてくれるものだと。そして、当時、文章など書いたこともない自分が、衝動に突き動かされスタートさせたのが『D-hair通信』という会報でした。丹羽先生との出会いから生まれ、10年がたち、今月65号が完成しました。

 
   スタッフ全員SOD体験者!実体験こそが事実
 
   私のサロンにはスタッフが3人います。みんなSOD体験をしております。
   微小血管狭心症の発作がたびたびあったマサヨさんは、発作が起きときにSODを飲むと落ち着くので、外出のときに持ち歩いていると安心すつと言います。キヨエさんは咽頭炎になり、喉が腫れて声が出なかったんですが、これもSODで治りました。朝起きたときに疲れが取れていないことが多いと感じていたマユミさんは、SODを1、2包飲んで寝ると、翌日すっきり起きることができるようになったと言います。本当にSODは万能です。
   そんな中、今でも忘れられない出来事があります。8年ほど前、担当していたNさんが子宮頸がんを患ったのです。そこでSODをお勧めしたかったのですが、健康食品はお嫌いだとおっしゃっていたので話はしませんでした。その後、何度かいらしたときに、少し理解していただけたので丹羽先生のDVDを見ていただいのですが、その日を境にいらっしゃらなくなったのです。
   それから1年後。Nさんから突然、髪がどうにもならいくらい痛んでいるのでカットして欲しいとお電話をいただいたのです。確かにNさんの髪はジャキジャキにそがれ爆発していました。それをドライカットとヘッドスパで直しました。そうして何事もなかったようにまた通われ始め、1年ほど経ったとき、Nさんから、実はがんが再発して、肺に転移していると告げられました。そのとき、やはりSODを勧めようと思い、再度話をしてみました。今度はすんなり受け入れてくださったのです。
   ところが、その日の夜、Nさんから再び相談のお電話が。入浴中、髪を洗おうとうつむいたとたん、すべての髪が団子のようになってしまったというのです。状況がよく飲み込めないまま、翌日サロンに頭巾をかぶっていらしたNさんの髪を拝見して驚きました。つむじのあたりに握りこぶしくらいの大きさの髪の塊が張り付いていたんです。髪と言うより軽石のような堅さで、スタッフと6時間かけてほぐし、ドライカットで髪が薄く見えないよう整えました。こんなことをしても、抗がん剤治療をしている限り、すべての髪が抜けることは目に見えていましたが、いきなり丸坊主になる精神的ショックを少しでも和らげたかったのです。その後、まもなくしてすべての髪が抜けてしまい、ずっと私のサロンにいらして、ヘッドスパをやり続けました。そして抗がん剤をやめたとき、また普通の太さの髪が生えてきて、最後はカラーまでできました。そのときNさんは「SODを飲むようになってから本当によく眠れるのよね。ありがとう」という言葉を残して半年後にお亡くなりになりました。
 
   愛猫もSODで大病を克服!御歳21歳、人でいう100歳
 
   Nさんの「よく眠れる」という言葉の意味を心から知る日がきたのです。
   それは私の現在のパートナー、21歳になる愛猫のチャトの闘病生活で知ることになったのです。猫の21歳は人間で言う100歳に相当します。けれどもチャトは毛量もあり毛艶もよく、みなさんとても21歳に見えないとおっしゃいます。実は、この子も現在SODを毎日1包飲んでいるんです。8歳のときに一度、尿道結石で病院のお世話になり、それ以外はずっと元気できました。ところが3年前、血尿が出て、獣医さんに、もうトシなんで覚悟してくださいと言われました。そのときは点滴を打って、薬を処方していただいて帰ると、少し食欲も出て良くなったように見えたんです。でも、翌日、薬を飲ませると動かなくなり、じっとしているのでおかしいなと思い、いただいた薬を調べてみると、高血圧の薬だったんです。それですぐに中止して、餌の中にSODを混ぜて食べさせてみました。するとチャトは数日で元に戻り、普通に過ごすようになりました。

   それから3年後のある日、今度は血尿さけでなく血便まで出て、さらにまったく眠らなくてウロウロし始めました。病院に行くことも考えましたが、前回にこともあり、やめて自分がチャトの主治医になることにしたのです。そこで思いついたのがやはりSODでした。犬と違い猫は薬を飲ませるのが大変だというのは、飼っていらっしゃる方なら良くおわかりかと思います。とくに粉末状のものはドライフードに混ぜてもほとんど食べてくれません。そもそも偏食というか気まぐれですから、自分の気分で食事をしたりします。そこで考えました。SODを片栗粉と水でよく混ぜ、お団子状にしたのです。それを錠剤のようにして飲ませたら、血尿、血便がなくなったんです。それだけでなく、トイレもあちこちでし始めていたのが、ちゃんと決めれたトイレでするようになったのです。
   さらに驚いたのが、SODを食べるようになってから、朝までぐっすり眠れるようになったんです。Nさんのいう、よく眠れるようになったとはこのことだったんだと改めて思いました。
   私自身もSODのおかげでますます活動的になりました。カットのアイディアもいろいろ浮かび、昨年は独自の『匠ドライカット』を開発。これはカットで例えば、白髪が隠れ、黒髪が増えたように見えることもできます。ここまで来ることができたのも、丹羽先生との出会いが大きく関与していると思います。先生、本当にありがとうございます。そしてこれからもよろしくお願いします。
 

   こちらこそ今回はお忙しいなか原稿まで執筆していただき、ありがとうございました。
   木津さんは髪をみたらその人の健康状態がわかると言います。それだけの知識と経験があるからこそ言えることなのでしょう。「D-hair」は単なる美容室ではなく、美と健康が得られる新しい形のサロンでした。取材させていただき、帰りに改めて善行という駅名を見て、木津さんが目指している美と健康は、つまりは人のためになることを行う、ではないかとふと思いました。
 

 

 


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