今回の愛飲者インタビューにお応えくださったのは、クモ膜下出血という大病で生死の境から生還されたという横井さん。「クモ膜下になったのは平成になってすぐでしたからもう30年近く前のことでした」
そのころ横井さんは、某大手企業の管理職としてバリバリ仕事をしていました。50歳になったばかりの働き盛り。海外、国内の出張は頻繁に。夜は付き合いや接待で飲酒の機会も多く、決して健康的ではなかったといいます。「お酒やたばこも飲んでいたし、無茶もしました。あの頃はそれが当たり前の時代でしたから」
戦後の日本の発展を支えた企業戦士でした。そんな横井さんが突然倒れたのは平成2年。会社で仕事中のことでした。突然、まるでハンマーで殴られたような、今まで経験したことのない激しい頭痛に見舞われたのです。さらに吐き気と意識混濁等で倒れ込んでしまいました。すぐに救急車で病院に運ばれましたが、意識はなかったそうです。代わりに病院に駆け付けた奥様がお話ししてくれました。「びっくりしました。ええ、生死をさまようというのはあのことでしたね。緊急手術をしたのですが、先生も予断を許さない状態で、どうなるかわからないとおっしゃいました。仮に助かっても、半身まひなどの後遺症が残る可能性が高いと言われたんです。もう祈るような気持ちでした」
幸いにも横井さんは生還しましたが、最初の2週間くらいは箸もろくに持つことができず、しゃべりも呂律が回らない状態でした。「主人はスポーツマンで、サッカーやテニス、若い頃はアイスホッケーもしていたくらいなんですよ。なのに身体が思うように動かなくてつらかったと思います」
脳の病気には大きく分けて脳梗塞と脳出血があり、総じて脳卒中といいます。脳卒中は日本人の死因のベスト5に入っていて、これらの疾患にかかると仕事に復職できる確率は5割といいます。なかでも脳出血の部類に入るクモ膜下出血は死亡率や後遺障害を残す確率がきわめて高い病気だとか。また、長期のリハビリも必要で、それでも回復する確率は3割弱。(厚生労働省HP及び日本神経病理学会HPより)
そんな中、横井さんは1年間仕事をお休みして治療とリハビリに専念しました。運動で鍛えた体力と持ち前のバイタリティでリハビリを乗り切り、先生も驚くくらいの回復を見せたのです。「そうなんです。1年で元の状態に戻ったんです。先生もこの病気になって、ちゃんと歩けるまで回復する人はそうはいませんとおっしゃてくれました。もちろんリハビリや先生のおかげもありますが、実は、私はSODのおかげだと思っているんです。術後から欠かさず飲ませたんです。朝昼晩2包ずつ」という奥様。どうしてSODだったのでしょうか。「若い頃から自然派志向なったんです。今でこそ、そこらのドラックストアにも無添加の化粧品やサプリメントなどたくさん置いてありますが、私が若い頃はそういう専門店に行かないと手に入らなかった。そんな中、食べ物や化粧品はなるべく無添加のものにしたいと思ったんです」
時は1980年代の頃の話。丹羽先生が講演などで1970年に地球が変わり、がん、膠原病、アトピー、難病の治りが非常に悪くなった。それは環境汚染物質が巷にあふれ、活性酸素を過剰に生み出しているから≠ニ話してくれる時代の変換期でした。大気汚染や水質汚染、食品公害、薬品公害が次々と指摘されるようになった時でした。「水に含まれる塩素やカルキが良くないとか、食品添加物が良くないとか、化粧品の合成保存料や着色料、鉱物油が良くないとか言われ始めて、私はわりとそういうニースに敏感だったんです。それで化粧品なども当時少なかった自然派化粧品を使っていたんです」
当時は世田谷にお住まいだったという横井さん。現在の埼玉に引っ越ししたのはご主人が倒れた年の平成2年でした。「引っ越した先は、買い物も便利で、近所に大きなスーパーもあったのですが、残念ながら自然派の化粧品などを扱っているところがなくて、近所をいろいろ探していたら、駅前で小さな薬局を見つけたんです。入ってみると、私が昔愛用していた化粧品など、いろいろ自然のものを扱っていたんです。嬉しかったですね。そこのオーナーがすごく勉強熱心な方で、化粧品や健康食品はその効能をとことん調べ、自分が納得したものしか仕入れないんです。そのために週に一回のお休みの日は勉強会まで開催しているんです」
そこで扱っていたのがSODでした。「主人がクモ膜下出血で倒れ、1年くらいは入院とリハビリの日々。先生からもこれからは食生活に気をつけないといけないと言われていたんです。そんな時にこの薬局のオーナーに相談したら、SODを勧めてくれたんです」
お店のオーナーが言うには、人間の体というのはすべてがつながっていて、胃がんだから胃のがんだけを取り除けばすべて大丈夫なわけではなく、胃がんになった理由が必ずどこかにあると。クモ膜下出血も、脳の血流が悪いからだけではなく、ずべての血液の流れが悪く、たまたま脳に出たと。それら病気のほとんどが活性酸素が悪さをしているからで、この活性酸素の錆びを落すように除去しなければ改善されないというようなことを話してくれたと言います。「活性酸素にはSODがいちばんだと言われましたから、すぐに飲ませました。主人は気休めくらいにしか思っていませんでしたが、私は、これはすごくいいと確信しました。というのは、先生もびっくりするくらい良くなっていったんです。普通なら半身麻痺くらいは覚悟しなければならなかったのに、後遺症もまったくなく元気になったのですから、SOD効果以外の何ものでもないと思うんです」
遺伝性の脳疾患。親も祖父も早逝
65歳まで生きれば…が80歳に!
「主人がクモ膜下出血になったのは、仕事に忙しくしていたのもあるかもしれませんが、実は遺伝でもあるんです。祖父が45歳、父親が55歳で亡くなっているんです。どちらもやはり脳梗塞とか脳出血といった脳の病でした。だから主人も、俺は65歳でいい、と冗談のように言っていたんですよ。間もなく80歳ですが」と笑って話してくれた奥様。ひょっとしたらご主人の英博さんは65歳までも生きられなかったかもしれないとも。「それもこれも先生やリハビリのスタッフなど病院の方々のお陰でもありますが、いちばんの功労者はSODだと思っています」というのは、英博さんは7年前と5年前に再度、倒れているのです。症状は脳梗塞とクモ膜下出血でした。奥様は、「倒れたときは手足をまったく動かせなくなり、いよいよ半身麻痺かと思ったんです。ところが2回とも1週間で退院でき、手足も動くようになったんです。もう70歳を過ぎていましたから、先生も今回はダメかもとおっしゃったんですよ」
ところが元気になられたご主人。「SODのおかげですよね。もちろん私も飲んでいますよ。だって、私が倒れたら誰が主人の世話をするんですか。3人の息子がいますが、子供たちには子供たちの人生があります。それを犠牲にしたくない、世話になりたくないんです。ということは、私が元気でいてこその横井家なんです」
実に頼りがいのある奥様です。「私、SODに出会ってから、薬というものはあまりあてにしないんです。血圧の薬は最近いただきましが、基本、薬は飲みません。代わりにSODをあてにしているんです。なによりもその効果を実感したからです。主人の場合もそうですが、私自身も、疲れたなと思ったときや胃がもたれたときにSODを多めに飲むと、明らかに体調が良くなっているんですよ」
今や一家の大黒柱的存在の奥様です。ご主人はおっしゃいました。「妻がSOD酵素の大切さを知り、いろいろ調べてくれたおかげで丹羽先生のSODにたどり着けたと思っています。私も55歳くらいまでいきれたらいいと思っていたのに間もなく80歳になります。ありがたいことです。妻と丹羽先生に感謝です」
奥様は、主人はSODのおかげだとは気づいていないとおっしゃいましたが、ご主人は、奥様とSODのおかげだと実感されていたのです。奥様は企業戦士として日本を背負っていらしたご主人のことを誇りに思い、ご主人は自分の体のことをいつも第一に考えてくれる奥様に感謝している。互いが互いを尊重しあう、これぞおしどり夫婦というものかもしれません。
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