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 スポーツママを突然襲った乳がん!
 
その克服までの道のりは
  大分県 宮田美恵さん (64歳) 女性

 
   ご夫婦で酒屋を営み、息子さん、お嬢さんを育てあげた美恵さん。若い頃はスポーツに打ち込み今もスポーツが大好きなママさんです。長身ですらりとした美人。加えて、とにかく元気なお母さんとして近所でも有名でした。
   ところが40歳を過ぎた頃から、体調を崩すことが多くなり、おかしいなと思い、病院に行ってみたのです。子供のころから病気らしい病気は一度もしたことがなく、病院も、成人になってからこの時が初めてでした。「子育てに夢中の20代、30代でしたから、子供が希望の高校に入ることができてホッとしたのでしょうね。一度、ちゃんと検査をしてもらおうと思ったんです。それで血液検査をしてもらったら、血糖値が高く、糖尿病一歩手前の数値だと言われました。私、人よりも体はよく動かしているし、どちらかというと痩せているし、糖尿病といわれてもピンとこなかったんです。でも、遺伝性ということもあるからと言われました」
   それから美恵さんはずっと糖尿病のお薬を飲み続けたそうです。しかし、数値はそんなに良くはなりませんでした。これは、最初に行った病院が糖尿病専門の病院じゃなかったからだと思い、専門の病院に行ってみました。「いろいろ調べてもらったら、もともとインスリンの分泌が少ないんだそうです。だから、薬だけでなく、食事にも気を使わないといけないとか。この病院が食事療法に熱心なところで、専門の栄養管理士さんが細かく食事指導してくれたんです。それはもう、野菜は何グラムって。昔の食事療法ですよね。糖質、炭水化物だけコントロールすればいい。でもそんなこと当時は知らなかったから、真面目に言われるように食事療法を頑張っていました」
   どんなことにも一生懸命、おまけに几帳面に取り組む恵美さんでしたから、毎日、キッチンスケールとにらめっこしながら食事を作っていたそうです。おかげで数値は規定値よりは若干高めながら安定していたそうです。
 
   そんな頃、息子さんが関東の大学に入学しました。スポーツに、勉強に著名な大学に入り、美恵さんもホッと一安心かと思いきや、「それがね、今でこそ大学の周辺には弁当屋やコンビニがありますが、昔はなんにもなかったんです。これでは息子の食生活が損なわれる、運動選手なのだからよりいっそうちゃんとしないといけないと思い、毎日の食事を作って宅配便で送っていたんです」
   美恵さんの一生懸命さ、几帳面さを物語るエピソードといえます。そのおかげでか、息子さんはスポーツでもどんどん活躍されるようになったそうです。ご自身の体調管理に加え、息子さんの世話までするスーパーママさんでした。
 
   リンパへ転移の乳がん発覚!手術、抗がん剤治療へ
 
   それは、数年前、2012年の秋のことでした。「ある日、朝起きたら、体中がだるく、全身の肌が黄色くなっていたんです。あわてて病院に行ったら、肝炎だと。おそらく昔の病院で処方されて飲んでいた糖尿病の薬の副作用の一種ではないかといわれたんです。でも、念のために肝臓がんの検査やらいろいろしてもらいました」
   幸いにも、肝臓がんといった重篤なものではなく、ウイルス性の肝炎ということで、一週間の入院とステロイド系のお薬投与で無事に退院しました。「そうしたら今度は、急にせき込んで、喘息のような症状が出たんです。ほら、私、糖尿病でしょ?それなのにステロイドのお薬を飲んだから。ステロイドを飲むと、血糖値がすごく上がるんです。だからその副作用で喘息が出たのか、それとも肺炎とか肺がんじゃないかって、心配だったから検査をお願いしたんです」
   先生もビックリされて、肺炎、肺癌などの疑いも含めて念入りに検査をしてくれたそうです。しかし、肺には全く異常が見つからずホッと胸をなでおろしたとか。とはいえ、糖尿病という持病をかかえ、微熱が下がらない。さらに次々と異常が起き、さすがの元気印、美恵さんも精神的にまいっていました。と同時に、もともと細かった身体がさらにやせ細り、周囲の人たちが心配するほどになったのです。病院でいくら検査をしても何にも出ない。でも体調は良くないわけで、これは病院を変えるしかないと思いたちました。ネットでいろいろ探し、たどりついたのが、心療内科と糖尿病を専門にしている病院でした。「そこでは、膠原病やリウマチの検査までしました。でも異常なしだったんです。ただ、そのときに、自分で思い当たる自覚症状がひとつありました。こんなに検査をしても、そのことだけは怖くて自分でも蓋をしていたんです。ほんとは、その検査をもっと早くしておくべきだったのに、つい糖尿や肝炎、肺といった内臓のほうばかりを気にしていたんです」
   しばらく前からあったという自覚症状は、胸にできた小さなしこりでした。「そのこを伝えたら、先生の顔色が変わりました。そしてすぐに大きな病院で検査をしなさいと言われました」
 
   肝炎から1年後、2013年11月。細胞診検査の結果、間違いなく乳がんです≠ニいわれたのでした。
   先生は、まず、抗がん剤を使ってがんを小さくしてから手術しましょうとおっしゃったそうです。というのも、がんの大きさが5pもあり、ステージUとVの間くらいという診断だったからです。「なんとなく自覚していたから、予想はしていましたが、思いのほかステージが進んでいて、ひょっとしたら余命数年かもしれない、そんな想いが頭をよぎりました」
   発覚から1か月後、2013年12月、美恵さんは、一回目の抗がん剤投与のために入院しました。
 
   抗がん剤の副作用にSODの大量摂取
 
   時を前後して、美恵さんがSODを愛飲されるようになったのは、乳がん発覚の2年ほど前のことでした。「SODと聞いて、私、ピンときたんです。というのは、娘のお友達がアトピー性皮膚炎で、四国の病院まで通っていたんです。その病院で勧められて飲んでいたのがSODやルイボスティーで、すごくいいんだと聞いていたのです。だから、電話をもらった時、ああ、あのSODだと」
   娘さんのお友達が通われていたのが、丹羽先生の病院、土佐清水病院でした。わざわざ四国まで通うほどの名医が開発したSODなのだから間違いなくいいものだと思っていたそうです。そんなときにたまたまSODの販売店から電話をもらったわけで、これも何かの縁。自身の糖尿病のこともあり、美恵さんはすぐにSODを取り寄せたそうです。そして健康維持のために毎日2包ずつ飲み始めいたのです。
   そんな矢先の乳がん発覚でした。心は大きく揺れました。余命数年かも、いや、手術で転移さえなければ大丈夫。不安と期待が入り混じる日々。しかし、元来、スポーツで培ってきたポジティブな性格の美恵さん。こうなったらできることを精いっぱいやろう。クヨクヨしていたらがんにつけ入れられると自らを奮い立たせたそうです。「そこでSODでした。活性酸素を除去して、免疫力をあげるのだから、抗がん剤の副作用とも闘ってくれるはずだと思ったんです。なんでもできることはやってみようと思い、SODだけではなく、ルイボスティーなどを取り寄せました。また、丹羽先生の病院でも使っているというマグニーボールも取り寄せました。まず、マグニーボールは、12キロを購入して10キロを浴槽に、残り2キロをレンジで温めて乳がんの患部に当てていました。当てながら小さくなあれって、祈るような気持ちですよね。マグニーボールは本当にいいですよ。私は温泉が大好きで近くにもいい温泉があるので、温泉にはうるさいんですが、このマグニーのお風呂は温泉効果がものすごく高い。入って数分で体中がポッカポか。ほら、がん患者は体温が低いというじゃないですか。だから、まずは体温だと。そうすれば免疫力が上がると」
 
   それにしても、美恵さん、よくいろいろなことを調べていらっしゃいます。そして、実に積極的。普通、みなさんよく言うのは、がん告知から先は、お医者さんの言うとおりにするしかなく、おろおろしている間に、まるでベルトコンベアに乗せられたように抗がん剤投与、激しい副作用、手術へと進んでいくといいます。美恵さんは、そこで抗がん剤の副作用や、来るべき手術にそなえて自力で武装したのです。
   さらにひとつの勘違いが功を奏でました。「病気になる前は1包3グラム入りのSODロイヤルを飲んでいたのですが、がんと分かり、これは多めに飲ませなければいけないと、1包9グラム入りのSODに替えたんです。以前に、手術などのときはSODは1日9包くらい飲んだほうがいいというのを聞いていたものですから、抗がん剤治療の前と後、そして手術の前後に9包ずつ飲んだんです。3グラム入りを9包でいいのに、9グラム入りを9包も飲んでいたんですね。後でこのことが分かって、大笑いでした。でも、それが良かったんだと私は確信しています」
 
   今生きていられるのは、私の命綱SODのおかげ!
 
   それでも抗がん剤の副作用は、つらかったと言います。「噂には聞いていましたが、大変でした。まず吐き気でしょ。次に口内炎ができ、味覚異常になるものですから、とても食事なんかできませんよ。手の皮がはがれたり、爪が割れたりもしました。髪の毛なんか束で抜けるんです。まるで映画のお岩さんみたい。あれはショックでした。体力が落ちるのは当然ですよ。免疫を上げるお薬も処方されて飲んでいましたが、私は、本当にSODに救われたんだと思います。これだけのことがあって、食事もろくにできなかったけど、体力はそんなに落ちなかったんです。入院していると、抗がん剤を投与された人はすぐにわかる。みんなぐったりしているから。でも、私は、走るなといわれるくらいに元気で、先生や、看護師さんも驚いていました」
   食事もろくに食べられない思いをした抗がん剤でしたが、種類を変え7回投与してもがんの縮小効果はほとんど得られなかったそうです。「小さくならないどころか、リンパへの転移が見られるから手術をしたほうがいいといわれました。そして手術をしたのが2014年の5月でした。幸い、内臓には転移していませんでした」とはいえ、乳房からリンパまで切除する大変な手術でした。術後は、抗がん剤に加え、放射線を25回も照射するという、がん治療フルセットを乗り越えたのです。もちろん、そこには心強い味方SODが寄り添っていました。「乳がんの切除と簡単に言いますが、抗がん剤、放射線、手術が終わっても、その後のリハビリもつらいんですよ。皮膚がつって腕が上にあげられない。それを上げるリハビリが痛いんです。やらないと皮膚と筋肉が固まってしまいますから。気力、なによりこれが大事ですね。体力が落ちていたら気力も湧かないですよね。そんなときにSODが後押しをしてくれたんです。これがあればがんには負けないぞ、って前向きになれたんです。本当に、SODは私の命綱だと思っています」
   術後、美恵さんは、2か月に一回、糖尿病の病院で検査をし、3か月に一回、がんの検査のため、採血し、半年に一回、CTスキャン検査をしているそうです。検査のし過ぎかなと笑いますが、「おかげで、がんはすっかり消えました。影も形もないんですよ」
   検査で安心するのではなく、検査のたびに、気を引き締めてがんばろうと思うとか。がんばるときは、自分でできる限りの努力をすることだそうです。例えば、食事療法の本をいろいろ読んで実践したり、体力をつけるために毎日のウォーキングを欠かさないこと。もちろん、SOD、マグニー風呂も欠かしません。美恵さんは言います。「お医者さんのことばだけが全てではないんですよね。私たちはもっとそのことを知るべきだと思います。お医者さんにも得意不得意があるし、勉強していないこともあるんですよ。だから、自分でできる限りの情報を知ることが大事だと思います。私も、SODと出会い、それを最大限に活用できたから、今、元気にここにいるんだと思うのです」
 
   今、息子さんは現役を引退し、実業団チームでコーチをされているとか。取材の数日前まで、その息子さんのチームが合宿を張っていた四国に行って、チームの食事の世話をしたいたそうです。ご自分のケアだけでも大変なのに、何かと忙しく動いてしまう美恵さん。そんな姿を見て、先生や友人たちは「元気すぎてがんも出てこれんのやろ」とあきれるそうです。「私にはSODという心強い味方がいるけん」
   そうは言っても、くれぐれも無理なさらないように。いつまでもお元気で。

 


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