かれこれ20年以上前のことです。3人目の子供を妊娠していた緑さんは、産むべきかやめるべきか悩んでいました。またそのことをご主人に伝えるべきか悩んでいました。
当時、鹿児島で農業を営むご主人とそのご両親、二人の子供と一家6人で暮らしていた緑さん。彼女も保育士として仕事をしていました。農作業は日の出前から日没まで、俗にいう、猫の手も借りたいと言われるくらい忙しい仕事です。そんな中、彼女は、保育士をしながら、育児、家事、時には農作業の手伝いまで休む間もないくらの日々を送っていました。「主人は九州男児の典型で、家事、育児は一切手伝ってくれませんでした。さらに、農家の姑は厳しく、保育士の仕事なんか、お遊びだと思われていたんです。だから、精神的、肉体的にきつくて、3人目の子供を授かったときは、疲れがピークになっていました」
出産をあきらめるくらい自身の体力が限界だったのです。思えば、このときすでに予兆があったのかもしれません。しかし、当時の田舎で妊娠して出産しないということは許されず、帝王切開の難産で3人目の子供を出産したのです。「体力の限界で出産したものですから、産後の傷口がなかなか治らず、逆に合併症で傷口が膿んでしまいました。それで手術をし、産後6ヵ月してようやく退院しました。免疫力がゼロだったんでしょうね」
それが今から20年余り前、平成
5年のことでした。そんな体力も気力もボロボロのとき、40度の熱が出て、なかなか熱が下がらない状態になったのです。「病院に行ったら、扁桃腺がはれているし、風邪だと言われ、解熱剤などお薬をもらってきたんですが、熱は一向に下がらなかったんです。それはしんどかったです。育児に家事もしなければならないし、とうとう倒れ、違う病院に入院しました。しかし、診断はおたふく風邪と扁桃腺の合併症だと言われたんです」
それでも熱は下がらず、実に4度の入退院を繰り返し、3か所目の病院で、ベーチェット病という診断が出たんです。
発がん性のある薬プレドニンを飲み続ける不安
ベーチェット病とは、はっきりとした原因が解明されていない難病のひとつだそうです。慢性的に皮膚や粘膜、目に、さまざまな症状をくり返し、身体の局部症状を伴うことから、膠原病類縁疾患に分類されています。トルコの医師、ベーチェットが1937年に報告したため、この名がつきました。「ベーチェットだと分かり、プレドニンというお薬を3錠飲んだら、あっという間に熱が下がったんです。そりゃラクにはなりましたが、プレドニンというお薬をこれからずっと飲み続ける、ということにはものすごく抵抗がありました。以前に、NHKの番組で副腎皮質ホルモンのことやステロイドのことをやっていて、プレドニンというものもそのお薬のひとつでしょ?飲み続けると副作用があると聞いていたから」
プレドニンというのは、お薬の辞典によるといわゆるステロイド薬。炎症を鎮めたり、免疫系をおさえる作用があります。炎症性の病気、免疫系の病気、アレルギー性の病気などに広く使用されています。たとえば、膠原病、ネフローゼ、関節リウマチ、重い喘息、ひどいアレルギー症状、めまい、耳鳴りなどに用います≠ニ書かれています。また副作用に関しても、感染症にかかりやすくなったり、糖尿病や骨粗鬆症、胃痛、腹痛、吐き気、むくみ、うつ病などなど、多種多様な症状があげられています。「でも、薬はこれしかないということで、ずっと続ける不安を抱えながら、熱が出るとすぐに飲んでいました。そんなとき、出産した息子がアトピー性皮膚炎になったんです」
母体が弱っているときの出産でしたから、胎児にも多大な負担がかかったのでしょう。今度は息子さんのアトピー性皮膚炎で病院通いをすることになったのです。そんなある日、緑さんは、病院で一枚の張り紙を見つけました。「チラシだったのか、新聞の切り抜きだったのかは覚えていないのですが、とにかく、丹羽先生の開発さらたSODがベーチェット病にいい、ということが書いてあったんです。当時、ベーチェット病なんて誰も知らなかったし、病院でも治らない病気と言われていましたから、もう、すぐにコレだと思ったんです。しかも、アトピー性皮膚炎にもいいと書いてあって、地獄で仏とはこのことだと思ったんです」
それから彼女は丹羽先生のこと、SODのことを必死で調べました。丹羽先生の本はすべて読み漁りました。何事も一生懸命に取り組む、緑さんらしい行動でした。そして、読めば読むほど、納得いくことばかり。しかも、民間療法と言っても、京都大学医学部出身で、数多くの論文を発表したりしている世界的にも認められた医師だということが大きな信頼につながっていました。
丹羽先生の診療所で号泣!先生のひとことが救ってくれた
緑さんが丹羽先生の福岡にある診療所に向かったのは、雪の降る寒い日でした。そんなもの信用できない、忙しいから行けないというご主人を説得し、農繁期を避けた冬まで待っての診察でした。「周期的になってくる高熱、だるさ、吐き気などで主人に車を出してもらわなければ、とてもではないけれど福岡まで行けないくらい体が弱っていたんです」
一縷の望みをかけて初めて丹羽先生の診療を受けたのでした。それでも、ご主人は診療室までは付き添ってくれず、車で待っていたそうです。「血液検査の結果や、これまでの状況を説明していたら、先生に、鹿児島からここまではどうやって来たのか聞かれました。それで主人の運転で車できたと言うと、ご主人を連れてきなさい、と言われたんです。それで車のところまで行き主人に丹羽先生が呼んでいると言ったのですが、先生の話を自分が聞く必要はないから行かないと、頑として動かなかったんです」
緑さんは2度も駐車場との間を寒い中、行き来したそうです。3度目にようやく重い腰を上げ、渋々、診察室に現れたご主人。このお話しだけでも、緑さんがいかにひとりで病と闘っていたかが伺えます。「このときの丹羽先生のお話は、もう、一生忘れません。先生は、主人を前にして、ええか、ご主人、奥さんの病気は、家事や育児ができない病気なんです。まったくできないし、してはいけない病気なんだから、あなたや他のご家族がお子さんの面倒もすべてみてください。わかったか?とおっしゃってくれたんです。」
その瞬間、緑さんは、我慢していた想いがあふれ、涙が止まらなかったと言います。
この日から緑さんはSODを1日6包飲み始めました。それでも熱が出るときは10包、15包と量を調節して飲みました。すると翌日には熱が下がって、ラクになっといいます。ご主人は相変わらずの亭主関白でしたが、理解を示すようになったことが大きな変化だったそうです。やはり、ストレスで治るものも治らないと言いますから。「プレドニンはまったく飲まないでいたのですが、あるとき、SODを20包飲んでも熱が下がらないかったときは、先生に電話しましたね。そしたら、そんなときはプレドニンを半分だけ飲みなさいと言われました。すると半錠だけなのにすぐに効いて、これもSODのおかげだと思いました」
SODを続けていくうちに、体調はどんどん良くなっていったとか。「なによりも、3カ月後の血液検査の結果がすごくよくなってたんです。それから10年以上、一日も欠かしたことなく飲んでいました」
と同時に、丹羽先生も勧める食事療法にも熱心に取り組みました。「保存料や化学薬品の入っている市販のものはなるべく控えるようにしたんです。幸い、うちは農家ですから、まず、お米は玄米にして、野菜は自宅で無農薬栽培。菜種油や味噌も大豆から自家栽培です。考えたら、SODの成分も全て自然のものですよね。だから理にかなっているんですよ」
SODを始めとする効果は、息子さんのアトピー性皮膚炎にも現れました。「息子は、最初は好転反応が出て、大変でしたが、SODと自家製の野菜などですっかり良くなりました。おかげで私が働いたお金はすべてSODに消えましたけど」
と笑われる緑さん「もちろん、それで後悔したことは一切ありません。というか、感謝、感謝です」
還暦を迎えたそのとき恐れていた再発
ベーチェット病の症状がほとんど表れることなく過ごした10年余り。丹羽先生にも、SODさえ続けていれば、もう病院には来なくていいよとのお墨付きをいただき、忙しさに病気のこともSODのこともすっかり忘れていました。「そうしたら去年、またイヤーな感じの発熱があったんです」
あれから20年、緑さんも還暦を迎え、いつまでも元気でいられないトシになっていました。確実に免疫力は低下していたのでしょう。「あれからプレドニンも一切使わず、病院にも行っていなかったのですが、一度行かなくてはいけないかと思っていたんです。そうしたら、娘がSODをくれまして、これ飲めばいいじゃないと。聞けば娘も歳になり、疲れやすくなったからSODを飲んでいるというんです。私が以前、せっせと飲んでいたのを見ていたし、その効果も目の当たりにしていたので、いいものだと思い、飲み始めたと。娘が、私にはSODがあったことを思い出させてくれたんです」
喉元過ぎれば熱さを忘れる、と言います。元気になると、ついSODをやめてしまう人も多いはず。
あわててSODを取り寄せ、、あた毎日6包ずつ飲み始め緑さん。再開してから1年経った今、「あれから熱は出なくなり、だるさ、吐き気もなくなりました。もう、これから先の人生にSODは欠かせません」
最近は、SODのことを友達などにも勧め、これまでの自分の病気のことなども話しているとか。これからのシニアライフもSODさえあれば怖くないとおっしゃいます。「これまでは、子供たちのために元気なお母さんでいたいという一心からがんばってきましたが、これからは、自分のために、家族のために、そして友達のためにSODを飲んでいきたいですね」
最後に、いつか丹羽先生にお会いして、あのときのお礼をいいたいとおっしゃる緑さん。そのお気持ち、丹羽先生に伝えておきますね。
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