頑強な体に突然の病、一生人工透析と言われ
大阪で自営業を営む福井さんは、子供の頃から柔道で体を鍛え、50歳過ぎまでその頑強な体が自慢だった。多少の病気くらい跳ね返す気力と体力にあふれていた。
それは2年前の3月中頃のこと。「数日前くらいから体がだるく、熱っぽいので、風邪でもひいたかなと思っていたんです」いつもなら1日仕事を休んで寝ていれば治っていた風邪が、いっこうに良くならない。それどころか体は重くなる一方。奥様の勧めもあって福井さんは仕方なく病院に行った。それが金曜日のこと。「病院に行きましたら、先生が、これはちょっとおかしいから採血とエコーをさせてくれと言うんです。おしっこの出が悪いようだから、腎臓がおかしいかもしれないと。紹介状を書いてあげるから週明けすぐに大きな病院に行くようにと言われたんです」
このときはまだ、おしっこの出が悪いと言われればそうかもしれないけど、さして気になるほどでもないのに、と言う程度の心配だった。ところが翌日、病院から電話がかかってきた。「採血の結果、急性腎不全の可能性が高いと。こちらから電話しておくから、いますぐ大きな病院に行くように。入院になると思うからその準備もしてすぐに行ってくれと言われたんですわ。そらもうびっくりしました」
あわてて大きな病院に行くと、先生から「意識不明に近い状態なのによくここまでがまんしましたね」と言われ、もちろんそのまま入院。普通の人なら立って歩くことなどできない症状なのに、福井さんの頑強な体、並外れた体力にはお医者さんも驚きだったろう。
そんななか、尿管にカテーテルを通して排尿を促すが、尿は最初のうちだけしか出なくなり、翌、日曜日の朝になると顔全体が腫れ上がっていた。まぶたを開けるのすら難しい状態になり、一時は危険な状態になった。このとき、福井さんには知らされていなかったが、奥様には先生から「急性腎不全だと思われます。危ない状態です。良くても人工透析(週に2、3回病院での透析を一生続けなければならない)をしなければならないと覚悟しておいてください」と説明があり、予断を許さぬ状況が続いたという。尿管のカテーテルの代わりに背中に穴をあけ左右の腎臓から直接尿を出す手術も行った。さらに悪性リンパ腫か腎不全に伴う後腹膜繊維症という難病の可能性があるということで、腹部の一部を切り取り生検をし、MRI検査、胃カメラまで行った。結果は後腹膜繊維症。左右の尿管が腫瘍のようなもので塞がれている状態だったという。「先生には、後腹膜繊維症は20年ほど前に発見された難病で、原因は不明。治療法もないと言われました」
しかし、福井さんの体力のおかげで腎臓が少しずつ働き始め、2週間後には退院にまでこぎつけた。「そのときに家内の友人がSODを飲んで病気を治したというので、SODのことを知ったんです。私は柔道で体を鍛えてきた人間ですから、病気なんか気力と体力で撃退するんだと思っていて、漢方だろうとなんだろうと、薬というものを信用していなかった。けれど初めて入院して手術して、よほど精神的にまいって、気力が萎えていたんでしょうね(笑)。病室で独り泣いたくらいですから。藁をもすがるつもりでSODを飲み始めたんです。最初の頃は1日6包」
院内感染に胃がん、満身創痍でSOD
福井さんの当時の肉体と精神は、極限まで弱っていた。その体に追い討ちをかけるように、退院した翌日に高熱が出てしまい再入院。原因は背中に開けていた穴から菌が入るという院内感染。「結局4月上旬から2週間、また入院でした。その入院から1週間くらいしてからでしょうか。それまで尿意は催すけどなかなか尿が出なかったのが、少しずつ出るようになってきたんです。ひょっとしたらこれがSODの効果かなと」
喜んだのもつかの間。検査のなかから今度は胃がんが発見されたのだ。踏んだり蹴ったり、満身創痍とはこのことだ。「もうここまでくると何が来てもいっしょ。とにかくなんでもかんでも切ってくれと。それで内視鏡で手術をしてもらったんですが、がん細胞すべてを取り切ることができなくて、またしても手術です」
結局、胃を全部摘出するという大手術になってしまった。その頃には尿もよく出るようになり、腎臓がSOSを出してくれたおかげで胃がんが発見され、けがの功名と思えるようになったと言う。
と同時に今度はステロイド投薬治療が始まった。副作用があることは説明されていた。もともとあった軽度の糖尿病が悪化する可能性や、緑内障などになる可能性があるからと、ステロイド投薬だけのためにまた入院。「入院中もSODは欠かさず飲んでいました。というのも、飲み忘れた翌日は調子悪いんです。でもちゃんと飲み続けているとどんどん良くなっていくのがわかるんです。なによりも朝起きたときの体調が違うんです。気分も違う。お医者さんには内緒でずっと飲んでいました(笑)。そしたら、3度目のMRI検査で、尿管をふさいでいた腫瘍のようなものが小さくなっていたんですよ。先生もびっくりしていましたね」
怒濤の入退院、手術の繰り返しにようやく終わりが見えてきたのは、9月の中頃のことだった。「背中から通していた管の左側が抜けたんです。左側の腎臓が、管を必要としなくなるまで回復していたんです。半年たってやっと少し解放された気分でしたね」
そして、12月。とうとう右側の管も抜け、背中の穴から解放された。「このときは嬉しかったです。背中に穴が開いていた間は、湯船につかれないんです。ずっとシャワーだけ。そら肩まで湯船につからないと体も温まらないですわ」
生還できたのはSODのおかげ
お風呂の楽しみが戻ったことが何より嬉しかったという福井さん。そして、ステロイドは少しずつ量を減らしながら今年の4月まで飲んで終えた。先生からいわれていた副作用も全くなく、すべての数値が平常に戻っていた。「あっという間の1年でしたね。先生から後腹膜繊維症は再発の可能性が高いからと言われているので今も定期的に病院には行っていますが、体調は全く問題ないですね。副作用がなかったのも腫瘍が小さくなったのも間違いなくSODのおかげでしょうね」
病気発症前は食事も不規則で体力頼みの生活だった福井さん。最近は食事も三食きちんと食べるようになり、特病の糖尿病の数値まで平常になったとか。「いやー。SODを飲むと目覚めがいいんです。朝起きたら、体も起きている。だから朝ご飯も食べようという気になる。一生飲み続けたいですね。家内もよく言っているんですよ、SODが買えなくて助かるものも助からないとう人がいっぱいいるんじゃないかって。国も薬害になるような薬を認可するなら、これだけよく効くSODを認可してもらいたですね。私は間違いなくSODに命を救われたのですから。SODのありがたさは健康な人にはわからない。私みたいに生死をさまよって初めて分かりました。ほんとうに感謝しています」
発症から2年がたった。
まだまだ働き盛りの福井さんは、今日も元気に立ち働いている。好きな晩酌も缶ビールロング缶3本から5本は軽い。そんな福井さんを奥様がはらはらしながら見つめている。いつもの日常がこんなにありがたいと思える幸せ。
SODとの出会い、きっかけはひょんなことからだったかもしれない。けれど、それはかけがえのない命をつなぐ出会いだった。「僕みたいにならないように、みんな健康なうちからSODを飲んでおくといいですね」
確かに。丹羽先生のお話も、早めのSODに限るということだった。
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