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 28年に及ぶご子息のアトピーとの闘い
 丹羽先生とSODは命の恩人
  二宮和子さん            女性
  二宮秀寿さん (28歳) 男性

 
   編集部にある日、ひとりの女性から一通の分厚い封書が届きました。開いてみると、そこには28年間にも及ぶご子息の壮絶なアトピー闘病の模様が綴られていました。そして最後には、「丹羽先生の診察を受けるようになり劇的に良くなっています。これから高知の土佐清水病院に入院することになりました。その結果を含め、またお手紙を書かせていただきます。自分の目で土佐清水病院を見てきます」
   と書かれていました。それが今回取材させていただいた二宮さんからいただいた最初のお手紙でした。
 
   私たちは即座に、取材させていただこうと手紙を出しました。すると、しばらくして二宮さんから土佐清水の消印のついてお手紙が届きました。「ご無沙汰しております。お返事しようと思いましたが、ひとつだけわからない点がありましたので、それを確かめてからと思っておりました。今回、それがようやくわかりましたのでお便りしました。
   それは現代医療の対処治療のことです。現代の医療では病気の症状が薬などで治ったようにみえても、それは対処療法でしかないのです。一時的なものにすぎません。時間が経過すれば症状はまた現われます。そして時間の経過とともに薬の副作用で、従来の病気に加えて新たな病気が発症します。そうなると患者も病院内の複数の科を行ったり来たり。
   そんななか、丹羽先生の治療方針がとても正しい治療だということがわかりました。それは患者の体を健康にしながら病気を治していくという治療でした。このことを自分の目で確かめたので、東京に戻りましたらお話させていただきたいと思います」
   彼女とご子息が土佐清水で何を体験し、何を発見してきたのか、私たちは期待を持ちながら連絡をお持ちしていました。そしてようやくお会いしたのが4月のこと。
 
 
   おかあさんの肌はそうして綺麗なの?といわれ返す言葉がなかった…
 
   待ち合わせの場所にいらした二宮さんは、颯爽としていて、ピリッとスパイスの効いた聡明な瞳の持ち主でした。
   息子さんとの28年にも及ぶ壮絶なアトピーとの闘い。彼女はその話を、ものすごく客観的に、冷静に語り始めました。
 
―――息子さんにアトピーが発症したのはいつ頃からですか?
「生後一ヶ月からです。主人が鼻炎で、兄の息子は喘息ですから、多分に遺伝だと思うのですが近所のお医者さんにかかり、生後一ヶ月からステロイドを塗っていました。とにかくかゆいらしく、ずっと掻いて、シーツはいつも血だらけ。だから眠りの浅い子でした」
 
―――それは母子ともストレスでしたね。小学校に入ってからも?
「ええ、ずっとというか、ますますひとくなり、皮膚が象のように硬く、ゴワゴワして、人間の皮膚じゃなかったです。他の生徒から気持ち悪いと言われたり、親御さんからうつるんじゃないかとも言われました」
 
―――それはさぞや辛かったでしょう。
「いえ、いちばん辛かったのは、息子がお母さんの肌はなんでそんなに綺麗なの?≠ニ聞いたときでした。そのときばかりは答えられなくて、思わず息子を抱きしめました」
 
―――ステロイドの副作用は?
「始めると視力が落ちるんです。ステロイドをやめると回復するんですが、戻すとすぐに落ちる。さらに成長ホルモンにも影響し、成長も他の子供に比べると遅かったですね」
 
   中学、高校時代は症状が比較的落ち着き、二宮さんはこのまま治ってほしいと祈りながら時をすごしていた。しかし、その祈りは、大学受験というストレスのかかる時期にもろくも崩れた。「またステロイド生活に戻り、受験が終わり、ステロイドをやめたとたんに今度はリバウンドがきたんです。どれはそれはひどかったです。耳たぶからも血が出て、その割れ目から黄色い汁が出る。顔全体からも。まるで原爆のケロイドのようでした」
   ステロイドに限らず、劇的に効く薬は使い続けると必ず副作用がやってくる。これは丹羽先生がいつも言っていることだ。もちろん、丹羽先生に限らず、統合医療を押し進める医師たちも言っている。「ガーゼを取ると肉もいっしょにはがれ落ち、お風呂もドロドロ。化膿した皮膚にマキロンのような市販の消毒薬をつけることしか対処の仕方がわからなかった。この頃には息子はもう寝たきりで、トイレにも這って行くような有様でした」
 
 
   ステロイドは安心と平然という大学病院。あげくの果てには、手に負えないと言われ…
 
―――病院はどこに?
「ずっと近所の皮膚科にかかっていたんです。ダニが原因かもしれないと言われて、アトピーふとんという、5万円もするダニやほこりがつかない医療用のふとんも買ったし、家中のダニ検査もしてもらったんですが、ダニなんか一匹もいなかった。アトピーの原因にダニもほこりもなーんも関係ないんですよ。近所の医者はもう信用できないって思いました」
 
―――次にどちらに?
「やはり日本の医学の最高峰だという大学病院に行きました。でも、まったく駄目ですね。医学書にかいてあることしか言わない。アトピーならステロイド。重度なら放射線ですよ。放射線といったって、皮膚のあざやほくろなどを取り除くために照射するレーザーのこと。それをアトピーに照射するんです。いくら皮膚がぼろぼろであざのように黒ずんでいても、これはあざではないことくらい素人にも分かりますよ」
 
―――それを放射されたんですか?
「全身に。そうしたら皮膚がよけいにぼろぼろでガサガサになったんです。しかもステロイドを処方されて目の前でけいれんしているのに、ステロイドは副作用がなくて安心ですからと言う。あげく、あまりにも症状が悪化しているので、教授に聞いてみると言い始める。こりゃ駄目だ。もう、こんなところにいたら死んじゃうと思いました。危なかったと思いますよ」
 
―――アトピーという病気で死ぬ人はいなくても、
        アトピー治療のため薬の副作用で死ぬ人はいるかもしれませんね。

「まったくそのとおりです。大学病院はほんとうに駄目でしたね。最後は手に負えないと言い出す始末。もう少し軽ければいいけど≠ナすよ。こっちは悪いからわざわざ来ているのにね。軽かったら来ないですよ」
 
 
   波動共鳴水、温泉療法どれも効果ゼロだった民間療法
 
―――これで西洋治療に見切りを?
「そうです。ここから民間療法に走ったんです。毎日図書館にいってはありとあらゆるアトピーに関する本を読みました。でもね、そこには丹羽先生の本はなかったんです。あればこんなに遠回りすることはなかったんでしょうけどね」
 
―――ということはいろいろな民間療法をされたんですか?
「ええ。長野県の波動共鳴水療法」
 
―――そうでした?
「好転反応でもっとひどくなって、それでも大丈夫、大丈夫と言われ、さらに悪くなり、やめました(笑)。次に、行ったのは神奈川にある温泉療法の会社」
 
―――それはどんな療法?
「ペットボトルに入った濃縮した温泉水を飲む療法なんです。体験談を載せた本とかを読むと、みんなすごくよくなっているというので、55万円もかけて浄水器も購入してやったんですが、これもぜんぜんよくならなかった」
 
―――体験談は、うちでもやっていますし、このように取材させていただいていますから同じですよね。
「温泉療法のも体験談を載せたものをいっぱい送ってくるんです。それで、治った方達から話を聞きたいんで教えてほしいと言うと、個人保護法があるので教えられないって言われて、ホントに治っているのかどうか確かめようがない。その点、こちらはちゃんと取材してらっしゃる。なによりも丹羽先生が本物だから。治療法も理にかなっているから、他とは明らかに違います」
 
―――そこから丹羽先生たどり着いた経緯は?
「確か、夕刊フジのインタビューに、がんやアトピーなどの難病を次々治している名医として西新宿の佐野先生とおしゃる方が出ていらしたんです。それを読んで、ひょっとしたらいいかもしれないと思い、すぐに行ってみたんです。そうしたらここまでひどいのはうちではできない。これは土佐清水病院の丹羽先生に診てもらったほうがいい。紹介するからそちらに行きなさい≠ニ言われ、新横浜の診療所に行ったんです」
 
 
   丹羽先生に辿りつけたのは宝くじに当ったようなもの
 
―――ようやくたどりついたわけですね。
「それで診てもらったら、3ヶ月で治ると簡単に言われて、そのことを友人に言ったら、それは調子が良すぎる、アトピーはそんなもんでは治らない。怪しい先生だ(笑)って」
 
―――確かに、最初はめんくらいますよね(笑)年に2回行っているアトピーのスピーチは聞かれました?
「ええ、それが平成17年の秋でした。でも、さっぱり聞き取れなかった(笑)。だって、先生、早口でしょ?言いたいことがほとばしって、通訳がないと分からないですよ。2回目に聞いて初めて理解できました」
 
―――じゃ、ことらにお手紙をくださったのはそのあとですか?
「それが違うんです。最初、3ヶ月で治ると言われたのに、治療を一旦やめたんです」
 
―――そうして?
「半信半疑の気持ちがあったんでしょうね。いただいたステロイドが弱くて、効かないものですから、つい、元のステロイドに戻しちゃったんです。もうステロイド依存症になっていたんでしょうね。症状も、アトピーじゃなく、ステロイド皮膚炎ですよね」
 
―――二度目に訪れたのは?
「1年後の18年の秋でした。いよいよひどくなり、まぶたまでぼろぼろ目が開かなくなったんです。まぶたの神経までもが駄目になってました。先生には怒られました(笑)」
 
―――つい最近のことですね。
「ようやく目がさめ、去年11月 1日から毎日10包ずつSODを飲み始めたんです。そしたら1週間で目が開いて、鱗のようになっていた皮膚が下から白い肌が出てきたんです。リバウンドもないし、黄色い汁も出ない。炎症もない。とにかく白い普通の肌が見えてきたんです。そのとき、いままで何をやってもよくならないどころか悪化し続けた10年間はいったいなんだったんだろうと思いましたね。10年間がバカみたい」
 
―――そうおっしゃる方が多いという話です。
「だって、何をやってもよくならなくて一家心中した家庭もあるんですから。私も膨大なお金と時間をどぶに捨ててきた。息子だって、丹羽先生に出会わなかったら、今頃、廃人になっていたと思いますよ。もう生きる希望すらなかったですから。私は、丹羽先生に出会ったのは、宝くじに当たったみたいねものだと思っています。やっと当たったんです」
 
―――二宮さんのような体験をされてさまよっていらっしゃる方、多いでしょうね。
「うちなんか氷山の一角ですよ。だからこの話を朝日新聞に投稿したんですが、取り上げてくれないんですね。大学病院などのマイナスになることはできないんでしょうか。毒にも薬にもならない民間療法も野放し。図書館にはどうでもいいような本ばかり。思わず近くの図書館に丹羽先生の本を寄贈してきましたよ(笑)」
 
―――二宮さんも先日まで土佐清水に行かれていたんですよね。
「息子が12月 5日に入院しまして、私も丹羽先生の病院や、治療方法をこの目で見たくて行ってきました。本を読んで、臨床のやり方を見て納得しました」
 
―――というと?
「本をたくさん出されている有名な大学病院の先生たちは、優れた研究者かもしれませんが、臨床はされていない方が多い。でも、丹羽先生は臨床で膨大な患者さんと接しながら研究者でもあるんでうすね。なによりも丹羽先生は患者の体にちゃんと触れて、全身くまなく触って診察するんです。他の病院の医者は誰一人としてこんな触診はしれくれませんでした」
 
―――ああ、検査のデータしか見ない医者も多いらしいですね。
「丹羽先生は日本一を通り越して世界一ですね。先生の長年の研究には感謝の気持ちで胸がいっぱいです。今では大変だった28年間が走馬灯のようです。リバウンドのたびにもう死んでもいいと思った日々。こんな思いをしている人が世の中にたくさんいると思うと、なんとか教えてあげたいですね。私の体験談でよければいくらでも話しますよ。SODと丹羽先生との出会いがなかったら死んでいたかもしれないのですから、恩返ししたいですね」
 

   話の端々に表れた、下手な医者よりも豊富な知識が、長い闘病生活の苦悩、迷いを物語っていた二宮さん。
   おそらく、膨大な医学書等を読まれたのでしょう。母のその強さが、聡明さが、粘りが、彼女いわく「宝くじにあたった」という、丹羽先生との出会い、治療につながったのでしょう。
   岩を動かすかのような熱意にこちらの方が圧倒されっぱなし。さぞや土佐で丹羽先生と話がはずんだことと察します。
   私たちも「誇りが持てるいいお仕事ですよね。ぜひがんばってください」と逆に励ましてくださいました。本当になによりの励みになります。ありがとうございました。

 


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