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 膠原病から生還した全日本チャンピオン
  辻田裕司さん (70歳)

 
  テニス、仕事、鍼灸師、三足のわらじで大忙しの日々
 
   秋の爽やかな陽射しのなか、真っ黒に日焼けした人たちがテニスボールを追いかけていた。そのなかのひとり辻田さんは、年代別クラスの全日本チャンピオンだ。真っ白いポロシャツに短パン姿。軽やかな足取りで鋭いスマッシュを放つ。
   目の前の辻田さんが十年前に突然、膠原病一歩手前の症状に陥り、手足の自由を奪われた人だとは誰も信じない。ましてや現在70歳というご高齢の方だと言われても、信じられない。
   筋肉がしっかりとついた張りのある大腿部、つややかな頬、この方が本当に取材をお願いした、老齢の辻田さんかどうか、お名前を確認したくらいだった。「いやー、スポーツは昔から大好きで、すーっとやってきましたらそのせいじゃないですか(笑)」
   しかし、このスポーツ好きで体力には絶対の自信があったことがそもそもの始まりだった。「若い頃はそりゃあ無理をしていました。ずっとテニスをやっていましたから、体力には絶対の自信があって、暴飲暴食をあたりまえのようにしていました」
   そして暴飲暴食がたたり、30代になってすぐ胃潰瘍からくる慢性胃炎を患うことになる。いろんな病院を転々とするが一向に症状は良くならない。「そんなときに親父が断食の本を持ってきて断食道場のようなこところ10日間の断食をやったんです。そうしたら胃の調子が良くなり、調子に乗ってまた暴飲暴食。もちろんまた症状が悪化し、今度は医者で断食をする所で断食と鍼、電気治療、吸い玉など、西洋と東洋医療の両方をやったんです」
   今で言う統合治療の走りだった。この体験は大きな発見と決意をさせた。「東洋治療の良さを身を持って体験したものですから、これは将来の仕事になると踏み、思い切って鍼灸の免許を取りに学校に入学したんです」
   35歳の手習いだった。そんな辻田さんには、宮内庁御用達の履物製造販売という立派な本業があった。だから学校には夜間通い。三年後に国家資格に合格し、診療所で先生としてデビューした。「そりゃ忙しかったです。履物の会社、診療所、テニスと、三足のわらじですから(笑)」
   健康を取り戻し、治療師として、会社の社長として、テニスプレイヤーとして、八面六臂の大活躍が続いた。テニスのプレイといっても辻田さんの場合は、そこらの中年が健康維持のためにする趣味のテニスではない。毎回、全日本の大会に出場するほどの腕前で、そのために毎日10キロの走りこみは当たり前。50歳からフルマラソンにも出場するつわものだった。
 
  類似の膠原病と診断され歩くことも困難に
 
   異変はある日、突然やってきた。「61歳のときでした。全日本の大会が迫っていて、猛練習をしたんです。というのは、前年にシニア部門のダブルスで優勝していましたから、周囲の期待も大きいし、なによりも僕自身が負けず嫌いですから(笑)、毎日10キロ走りこみ、朝から晩までテニス漬け。秋の全日本に出場し、年が明けた一月のある日、突然右肩が痛くなったんです。なにしろ身体には自身がありましたから、こりゃテニスのやりすぎかな、筋を痛めたかな、と思っていたんです。そうしたら今度は左肩、両膝が痛くなり始めて、ただ事ではないと」
   即座に大学病院に行って検査した。そこで言われたのが、類似の膠原病だった。いくつかの症状が重ならないとはっきりとは言えないけれど、重なっている条件もある。といことでしばらく様子をみることになった。
   膠原病とは、百科事典によると体内の血液の抗体が自己の細胞の核と反応して免疫複合体を作り、全身の関節、血管、内臓などにある結合組織を攻撃することで発症すると考えられている。自己免疫疾患と考えられているが、完全な治療方法はみつかっていない=B
   辻田さんに病院から出された薬は胃の薬、痛み止め、炎症止めの三種。病を治すためのものではなかった。西洋医学では治療がないのだから仕方がない。「みるみる筋肉が落ち、歩くのすら困難になり、ガックリと落ち込みましたね。思い起こせば、ランニングしているときに足がもつれるようになっていて、おかしいなと。加えて家の立て替えを巡って母、家族ともめて、精神的にも参っているときで、今、思い返すと過度のストレスが良くなかったんでしょうね」

  丹羽先生のひと言とSOD様食品に救われた
 
   丹羽先生の診察を受けたのは、そんなさなかのことだった。まず血液を採取され、待つこと三時間。その間も椅子に座っているの苦痛なくらい全身の関節が痛く、自分はもうダメなのかもしれないとまで思っていた。「診察が始まったら、先生が症状が軽い順に始めようか≠ニおしゃって、50人くらい待っている患者さんの中で僕がいちばんに名前を呼ばれたんです。そりゃビックリでした。重症だと思っていたのに、丹羽先生からしたら僕の症状など重症に入らなかったんですね。ですから診察結果も筋肉リウマチやね。僕の言うとおりにやれば必ず治るから。胃の薬や炎症止めはいらない。痛み止めだけ、がまんできないときには飲みなさい≠ニ言われ、その言葉で気持ちがものすごくラクになったんです」
   そして、先生の病院から処方された漢方と、SODを飲み始めた。量は普通の人の倍以上、一日九包だった。「でもね、これがなかなかよくならなかったんですよ。治りが遅いなー、やっぱりダメなのかなー、とまた落ち込み始めたりしたんです。やめようかなとも思いましたよ。でも、まったく効果がなかったわけではなく、少しずつ歩けるようにはなっていたし、肩も動くよううにはなっていたんで、続けていた、確か、六ヶ月過ぎた頃だったと思います。ある朝、起きたらr、突然、痛みがまったくないんです。夢の中にいるんじゃないかって頬をつねったりしましたね(笑)」
   まるで魔法にかかったかのように突然、治ったという辻田さん。いつかは劇的に効くんじゃないかと思い続けて半年。本当にそのときがやってきたのだから嬉しさはひとしお。
   それから半年の筋肉リハビリを経て治療から一年後にはテニスに復帰した。
   今ではSODを一日三包のみ。あとはバランスの取れた食事と、適度な運動と、ストレスをためないことに気をつけているとか。しかし、辻田さんの場合は、適度な運動ではいような気も。なにせ今回の全日本大会では、あのプロテニス・プレイヤー石黒修(俳優 石黒賢の父)を押さえての第一シードなのだから、この日も練習に余念がない。

   帰り際にはお体には十分に気をつけてくださいと声をかけたら、「SODを飲み始めてからは風邪もまったくひかなくなりましたね。傷なんかもすぐに治るんです。いやー、たまには風邪のひとつくらいひいてみたいなーと思いますね(笑)」と大笑い。
   この取材から数日後、新聞で辻田さんが見事に優勝を飾ったという記事を発見。さすが!
   おめでとうございます。
 

取材協力  新座ローンテニスクラブ
2006年10月


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