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   さて、今回は丹羽先生のレポートをお送りします。とはいっても、その内容は診察のことではありません。実は、丹羽先生は医療以外で唯一趣味として取り組んでいることがあります。それは、11年前(1999年)に健康維持のために始めた野球です。最初のうちは健康維持を目的として病院スタッフとチームを作ったのですが、チームを作れば試合をしたくなり、試合をすれば持ち前の負けず嫌いが頭をもたげてきます。勝ちたい、勝つためには、と考えをめぐらし、とうとう全国から甲子園経験者などを募り、5年前(2005年)に正式に軟式野球連盟に登録。数々の大会で少しずつ頭角を現していました。
   私たちも先生が土佐清水にいるときは真夏の炎天下でも練習を欠かさない、さらに地方診療の折、雨が降っても深夜、ひとりでランニングを欠かさないという話は聞いていて、かなり本格的に取り組んでいるとは知っていました。
   そんななか、去年の11月(2009年)、先生の喜寿のお祝いの席で、先生の口から土佐清水病院野球チームがとうとう全国大会に出場することが決まったという報告がもたらされたのです。しかも、全国大会に出場できるのは参加1098チームのなか、たったの8チームだけ。その決勝戦はなんと東京ドームで行われ、優勝チームはそのあとプロ野球OBチームとのドリームマッチも用意されていました。
   確か、11月下旬に全国大会が行われたことは認識していたのですが、結果がどうだったのか確認していませんでした。そうしたら、12月に取材で大宮の診療所を訪ねましたら、スタッフの方から2種類のスポーツ新聞の切り抜きを渡されました。それは、全国大会を来めた中国四国大会で優勝した土佐清水病院の記事と満面の笑顔で胴上げをされている丹羽先生の写真でした。記事には大会最年長選手、80代まで現役という見出しが躍り、囲み記事で活性酸素とその防御酵素であるSOD研究の世界的権威≠ニいう先生の医師としての経歴まで記されていました。さらに、2枚目の記事じゃ全国大会で1回戦を勝ち抜き、準々決勝まで駒を進めたけれど惜しくも破れ、ベスト4に終わった土佐清水病院チームの記事でした。
   そうなんです、丹羽先生率いる土佐清水病院は全国ベスト4、つまり3位になったんです。おめでとうございます。『ありがとう。'08年は中国四国大会の決勝で負けてあと一歩のとこで全国大会に出られなかったけど、'09年は全国大会の準々決勝まで行けたから、今年こそは優勝やね』
   なにがすごいかって、先生はチームの一選手だということです。先生以外はみな20代、30代前半。孫の年齢の選手といっしょになって汗を流し、2番セカンドというレギュラーをはっているのです。もちろん控えの選手はみな先生より上手いはずなのですが、このレギュラーは変わりません。さすがにフル出場はしませんが監督いわく「丹羽先生が先発で出ることにこのチームの意味があるんです。先生は正面のゴロは完璧にさばきますし、打撃もミート力がありうまいです」
 
   ◆ 来年は東京ドームで、丹羽先生を胴上げだ! ◆
 
   土佐清水が今回、全国大会へと駒を進めた大会は、マルハンドリームカップといい、現在行われている草野球大会の中で、全国規模で行われる大会としては唯一のオープン形式の草野球全国大会です。毎年春先から9月にかけて全国50代表を決定、10月初旬から11月初旬に、全国8地区で地区決勝大会を実施。見事勝ち抜いた地区代表8チームが全国大会決勝トーナメントに進出します。また優勝チームはプロ野球OBチームによるスペシャルマッチ「ドリームマッチ」も行います。
   第1回は全国各地から821チーム、第2回は1021チームが参加しました。3回目の今回は1098チームが参加。中には、天皇賜杯全国大会の常連チームや、甲子園の常連校OBを中心としたチーム、社会人野球に在籍していた選手を中心とするチーム、大学のサークル、創部50年を越える老舗のチームなどその顔ぶれも多彩です。
   そのホームページに、今大会の最大のトピックスとして、丹羽先生の活躍が記事に取り上げられていました。オフィシャルライター、上原伸一さんが書かれたその記事をここにご紹介します。
 

   東京ドームまであと1勝と迫った準決勝で優勝した塩尻銘材野球クラブに敗れるも、土佐清水病院(中四国地区代表)もまた、好チームであった。
   土佐清水病院が発足したのは99年。5年前に全日本軟式野球連盟に登録し、毎年、連盟主催の大会を中心に、年40試合ほど行っている。設立当初は、大敗の連続だったというが、近年は、社会人(サンワード貿易=05年限りで廃部)でもプレー経験がある大矢宏起投手や、近畿大工学部で大学選手権に出場した西田智人投手ら、実力派の加入もあり、高知県の強豪チームの仲間入り。全軟連の大会では、あと一歩で全国大会出場を逃していたが、今年のマルハンドリームカップで、高知予選、中四国大会を勝ち抜き、念願の全国の舞台を踏んだ。
   土佐清水病院(中四国地区代表)の精神的支柱が、チームを立ち上げた丹羽耕三さんだ。土佐清水病院の院長であり、京都大学の医学博士である丹羽さんは、昭和7年生まれ。今年77歳になるが、孫ほどに歳が違う選手と混じって、はつらつとプレーしている。2対1で快勝した、準々決勝のふくおかファイナンシャルグループとの試合でも、いつものように2番セカンドで先発出場。4回には、エラーを誘う絶妙な送りバントを決め、試合の流れを引き寄せる一翼もう担った。
   意気軒昴な丹羽さんは「まだまだ、あと10年はプレーするつもりですよ」と言うが、それにしてもなぜ、還暦野球ならまだしも、77歳にして、一番体が動く20代30代の選手と一緒にプレーできるのか?この日、土佐清水病院の試合を見た全ての人が感じたであろう疑問を丹羽さんにずつけてると、こう秘訣を教えてくれた。
「私はね、50年間、毎日3q走ってるんです。ただ、アスファルトを走って足を痛めたことがありましたね。グランドとか、足腰に負担がかからないところを走るようにしてます。出張先でも、そういう場所を見つけて走っていますよ。77歳でも野球ができるのは、下半身を継続して鍛えいるからでしょうな。だから、日頃足腰を鍛えていない年配の友人には、私の真似はしてはダメだよって、クギを刺しているんです(笑)」
   仕事で全国を飛び回る丹羽さんが、出張先でも欠かさないことがもうひとつある。それはバットスイングだ。司令塔としてもチームをけん引する小川貴弘監督によると、書類が詰まった丹羽さんの出張バックの傍らには必ず、バットケースがあるという。試合前の練習では、120qくらいのボールを軽々とミートしていた丹羽さん。動体視力の健在ぶりも見せてくれたが、しっかりバットが振れるのは、毎日欠かさない素振りの賜物だろう。
   丹羽さんにとって、野球をすることは「老化防止の一環にもなっている」という。
「動いたボールを追っていると、反射神経や神経系が衰えませんからね。止まったボールを打つゴルフよりもいいような気がします」
   土佐清水病院は、確かに、丹羽院長のチームである。それは、取材したふくおかファイナンシャルグループとの試合からもうかがえた。丹羽院長の一挙一動が、チームのムードを作る。
   土佐清水病院のナインは、来年こそ、生涯現役、生涯一プレーヤーにこだわる丹羽さんを東京ドームで胴上げするつもりだ。
 
   77歳の現役野球選手がいかにミラクルなことかが良く分かります。今年はぜひ東京ドームでの胴上げを現場で拝見したいと思います。先生、チームのみなさん、がんばってください。